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綺堂ディジタル・コレクション




つぎは、綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです。『探偵夜話』は『青蛙堂鬼談』から発展したものです。ここで取り上げたのは、岡本綺堂が生まれた明治5年頃の高輪・泉岳寺あたりの景色が窺われ、父の姿が垣間見られるからです。綺堂没後62周年
 なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。




穴  ――『探偵夜話』より
             岡本綺堂
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      一

 Y君は語る。

 明治十年、西南戦争の頃には、わたしの家は芝の高輪《たかなわ》にあつた。わたしの家《うち》と云つたところで、わたしはまだ生れたばかりの赤ん坊であつたから何《なん》にも知らう筈はない。これは後日になつて姉の話を聞いたのであるから、多少の筋道《すじみち》は間違つてゐるかも知れないが、大体の話は先づかうである……。

 今日《こんにち》では高輪のあたりも開け切つて、ほとんど昔のおもかげを失つてしまつたが、江戸の絵図を見ればすぐにわかる通り、江戸時代から明治の初年にかけて高輪や伊皿子《いさらご》の山手《やまのて》は、一種の寺町《てらまち》といつてもいゝ位に、数多くの寺々がつゞいてゐて、そのあひだに武家屋敷がある。と云つたら、そのさびしさは大抵想像されるであらう。殊《こと》に維新以後はその武家屋敷の取毀《とりこわ》されたのもあり、あるひは住む人もない空《あき》屋敷となつて荒るゝがまゝに捨てゝ置かれるのもあるといふ始末で、更に一層の寂蓼《せきりよう》を増してゐた。さういふわけであるから、家賃も無論に廉《やす》い、場所によつては無銭《ただ》同様のところもある。わたしの父も殆《ほとん》ど無銭《ただ》同様で、泉岳寺《せんがくじ》に近い古屋敷を買ひ取つた。
 その屋敷は旧幕臣の与力《よりき》が住んでゐたもので、建物のほかに五百坪ほどの空地《あきち》がある。西の方は高い崖《がけ》になつてゐて、その上は樹木の生ひ茂つた小山である。与力といつてもよほど内福《ないふく》の家《いえ》であつたとみえて、湯殿《ゆどの》は勿論《もちろん》、米つき場までも出来てゐて、大きい土蔵が二戸前《ふたとまえ》もある。かう書くとなか/\立派らしいが、江戸時代にもかなり住み荒らしてあつた上に、聞くところによれば、主人は維新の際に脱走して越後《えちご》へ行つた。官軍が江戸へ這入《はい》つた時におとなしく帰順した者は、その家屋敷もすべて無事であつたが、脱走して官軍に抵抗した者は当然その家屋敷をすてゝ行かなければならない。そこで、こゝの主人は他の脱走者の例にならつて、その屋敷を多年出入りの商人にゆづり渡して行つたのである。この場合、ゆづり渡しといふのは名儀だけで、大抵は無銭《ただ》でくれてゆく。それに対して、貰《もら》つた方では餞別《せんべつ》として心ばかりの金を贈る。たゞそれだけのことで遣《や》り取《とり》が済んだのであるが、明治の初年にはこんな空屋敷を買ふ者もない。借りる者も少いので、新しい持主もほとんど持《もて》あましの形で幾年間を打捨てゝ置いた。
 かういふ事情で建腐《たちぐさ》れのまゝになつてゐた空《あき》屋敷を、わたしの父が廉《やす》く買ひ取つて、それに幾らかの手入れをして住んでゐたのであるから、今から考へるとあまり居心《いごころ》のよい家ではなかつたらしい。第一に屋敷がだゝ「#「だゝ」に傍点」つ広《ぴろ》い上に、建物が甚《はなは》だ古いと来てゐるから、なんとなく陰気で薄つ暗い。庭も広過ぎて、とても掃除や草取りが満足には出来さうもないといふので、庭の中程に低い四《よ》つ目《め》垣《がき》を結《ゆ》つて、その垣の内だけを庭らしくして、垣の外はすべて荒地《あれち》にして置いたので、夏から秋にかけては芒《すすき》や雑草が一面に生ひ茂つてゐる。万事がこの体《てい》であるから、その荒涼《こうりよう》たる光景は察するに余りありともいふべきであるが、その当時は東京市中にもこんな化物屋敷のやうな家《うち》が沢山《たくさん》に見出《みいだ》されたので、世間の人も居住者自身も格別に怪しみもしなかつたらしい。
 わたしの家《うち》ばかりでなく、周囲の家々《いえいえ》も先《ま》づ大同小異といつた形で、しかも一方には山や森をひかへてゐるのであるから、不用心とか物騒とかいふことは勿論《もちろん》であると思はなければならない。人間ばかりでなく、種々の獣も襲つてくるらしい。現に隣の家《うち》では飼鶏《かいどり》をしば/\食ひ殺された。それは狐《きつね》か絡《むじな》の仕業であらうと云ふことであつた。ゆふ方のうす暗いときに、なんだか得体のわからない怪獣がわたしの家の台所をうかゞつてゐたと云つて、年のわかい女中が悲鳴をあげて奥へ逃げ込んで来たこともあつた。夏になると、蛇《へび》がむやみに這ひ出して、時には軒先《のきさき》からぶらり[#「ぶらり」に傍点]と長く下《さが》つて来ることがある。まつたく始末に終へない。
 前置《まえおき》が少し長くなつたが、これらの話はさういふ場所で起つたものであると思つて貰《もら》ひたい。その年の八月、西郷隆盛がいよ/\日向国《ひゆうがのくに》に追ひ籠《こ》められたといふ噂《うわさ》が伝えられた頃である。わたしの家の庭内で毎晩がさ[#「がさ」に傍点]/\いふ音が聞えるといふので、女中たちはまた怖がりはじめた。なんでも夜が更けると、人か獣か、庭内を忍びあるくらしいといふのである。その当時、わたしの家族は父と母と姉とわたしと、ほかに女中二人であつたが、姉とわたしは子供と赤ん坊であるから問題にはならない。男といふのは父ひとりで、ほかは皆《み》な女ばかりであるから、なにかの事があると一倍に騒ぎ立てるやうにもなる。それがうるさいので、父ももう打ち捨てゝは置かれなくなつた。
「おほかた野良犬《のらいぬ》でも這《は》ひ込むのだらう。」
 かうは云ひながらも、兎もかくもそれを実験するために、父はひと晩眠らずに張番《はりばん》してゐた。それには八月だから都合が好い。残暑の折柄《おりがら》、涼みがてらに起きてゐることにして、家内の者はいつものやうに寝かしつけて置いて、父ひとりが縁側《えんがわ》の雨戸二三枚を細目にあけて、庭一杯の虫の声をきゝながら、しづかに団扇《うちわ》を使つてゐた。まだその頃のことであるから、床《とこ》の間《ま》には昔を忘れぬ大小がかけてある。驚破《すわ》と云へばそれを引つさげて跳《おど》り出すといふわけであつた。
 今年はかなりに残暑の強い年であつたが、今夜はめづらしく涼しい風が吹き渡つて、更けるに連れて浴衣《ゆかた》一枚ではちつと涼し過ぎるほどに思はれた。月はないが、空はあざやかに晴れて、無数の星が金砂子《きんすなご》のやうにきらめいてゐた。夜ももう十二時を過ぎた頃である。庭のどこかでがさ[#「がさ」に傍点]/\といふ音が低くひゞいた。それが夜風になびく草の葉ずれでないと覚《さと》つて、父は雨戸の隙間《すきま》から庭の方に眼《め》をくばつてみると、その音は一ケ所でなく、ニケ所にも三ケ所にもきこえるらしい。
「獣だな。」と、父は思つた。やはり自分の想像してゐた通り、のら犬のたぐひが忍び込んで何かの餌《え》をあさるのであらうと想像された。
 しかし折角《せつかく》かうして張番《はりばん》してゐる以上、その正体を見とゞけなければ何の役にも立たない。さうして、その正体をたしかに説明して聞かせなければ、女どもの不安の根を絶つことは出来ない。かう思つて、父はそつと雨戸を一枚あけて、草履《ぞうり》をはいて庭に降りた。縁《えん》の下には枯れ枝や竹切れが投《ほう》り込んであるので、父は手ごろの枝を持ち出して静《しずか》にあるき始めた。庭には夜露がもう降りてゐるらしく、草履の音をぬすむには都合がよかつた。
 耳をすますと、がさ[#「がさ」に傍点]/\といふ音は庭さきの空地《あきち》の方から低く響いてくるらしい。前にもいふ通り、こゝは四《よ》つ目《め》垣《がき》を境にしてたゞ一面の藪《やぶ》のやうになつてゐるので、人の丈《たけ》よりも高い芒《すすき》の葉に夜露の流れて落ちるのが暗いなかにも光つてみえる。父は四つ目垣のほとりまで忍んで来て、息をころして窺《うかが》ふと、恰もその時、そこらの草叢《くさむら》がざわ[#「ざわ」に傍点]/\と高く騒いで、忽《たちま》ちにきやつといふ女の悲鳴がきこえた。
 女の声はすこしく意外であつたので、父もぎよつ[#「ぎよつ」に傍点]とした。しかしもう猶予《ゆうよ》はない。父は持つてゐる枝をとり直して、四つ目垣をまはつて空地へ出ると、草むらはまた激しくざわ[#「ざわ」に傍点]/\とゆれて戦《そよ》いだ。芒や雑草をかきわけて、声のした方角へたどつて行つたが、不断《ふだん》でもめつたに這入《はい》つたことの無い草原《くさはら》で、しかも夜中のことであるから、父にも確《たしか》に見当はつかない。父は泳ぐやうな形で、高い草のあひだを潜《くぐ》つて行くと、俄《にわか》に足をすべらせた。露に滑つたのでもなく、草の蔓《つる》に足を取られたのでもない。そこには思ひも付かない穴があつたのである。はつ[#「はつ」に傍点]と思ふ間《ま》に、父はその穴のなかに転げ落ちてしまつた。
 落ちると、穴の底ではまたもやきやつ[#「きやつ」に傍点]といふ女の声がきこえた。父がころげ落ちたところには、人間が横たはつてゐたらしく、その胸か腹の上に父のからだが落ちかゝつたので、それに圧潰《おしつぶ》されかゝつた人間が思はず悲鳴をあげたのである。その人間が女であることは、その声を聞いたゞけで容易に判断されたが、一体どうしてこんなところに穴が掘つてあつたのか、またその穴のなかに何《ど》うして女が潜《ひそ》んでゐたのか、父にはなんにも判らなかつた。
「あなたは誰ですか。」と、父は意外の出来事におどろかされながら訊《き》いた。
 女は答へなかつた。あたまの上の草むらは又もやざわ[#「ざわ」に傍点]/\と乱れてそよいだ。
「もし、もし、あなたはどうしてこんな所にゐるのですか。」
 女が生きてゐることは、そのからだの温味《ぬくみ》や息づかひでも知られたが、彼《か》の女は父の問に対してなんにも答へないのである。父はつゞけて声をかけてみたが、女は息を殺して沈黙を守つてゐるらしかつた。
 なにしろ暗くてはどうにもならない。こゝから家内の者を呼んでも、よく寐入《ねい》つてゐる女どもの耳にとゞきさうもないので、父は兎《と》も角《かく》もその穴を這《は》ひ出して家《うち》から灯《あかり》を持つて来ようと思つた。探つてみると、穴の間口《まぐち》は左《さ》ほどに広くもないが、深さは一間半ほどに達してゐるらしく、しかも殆ど切つ立てのやうに掘られてあるので、それから這ひあがることは頗《すこぶ》る困難であつたが、父は泥だらけになつて先《ま》づ無事に這ひ出した。そのときに草履《ぞうり》を片足落したが、それを拾ふわけにも行かないので、父は片足に土を踏んで元の縁先《えんさき》まで引返《ひつかえ》して来た。

      二

 父に呼び起されて、母や女中達も出て来た。
「早く蝋燭《ろうそく》をつけて来い。」
 裸蝋燭《はだかろうそく》に火をつけて女中が持つて来たのを、心の急《せ》くまゝに父はすぐに持出したが、その火は途中で夜風に奪はれてしまつた。父は舌打ちしてまた戻つて来た。
「裸蝋燭ではいけない。提灯《ちようちん》をつけてくれ。」
 母は奥へかけ込んで提灯を持ち出して来た。それに蝋燭の火を入れて、父は再び現場《げんじよう》へ引返したが、さてその穴がどの辺であつたか容易に判らなくなつた。一口に空地《あきち》と云つても、こゝだけでも四百坪にあまつてゐて、そこら一面に高い草が繁《しげ》つてゐる。さつきは暗やみを夢中で探り歩いたのであるから、どこをどう歩いたのか判らない。倒れてゐる草をたよりにして、そこかこゝかと提灯をふり照らしてみると、そこにもこゝにも草の踏み倒された跡があるので、一向に見当がつかない。と思ふうちに、父は又もや足をふみ外して、深い穴のなかに転げ落ちた。
 落ちると共に蝋燭の火は消えてしまつたので、父はさつきの困難を繰返さなければならないことになつた。やうやく這ひあがつたものゝ、あたりが暗いので何が何やらよくわからない。父は又もや引返して蝋燭の火を取りに行つた。
「もう今夜は止《よ》して、あしたのことにしたらどうです。」と、母は不安らしく云つた。
 しかし彼《か》の穴には女が横たはつてゐる。それをそのまゝにはして置かれないので、父は強情に提灯を照して行つたが、彼《か》の穴はどこらにあるのか遂《つい》に見出《みいだ》すことは出来なかつた。暗やみで確かに判らなかつたが、父が最初に落ちた穴と、二度目に落ちた穴とは、どうも同一の場所ではないらしかつた。第二の穴には人間らしいものは勿論《もちろん》横《よこた》はつてゐなかつたのである。それらから考へると、この草原《くさはら》には幾ケ所の穴が掘られてゐるらしいが、それが昔から掘られてあるのか、近頃新しく掘られたのか、又なんの為に掘られたのか、父には些とも判らなかつた。
「あの女はどうしたらう。」
 それが何分《なにぶん》にも気にかゝるので、父は根《こん》よく探して歩いたが、どうしてもそれらしいものを見出せないばかりか、よほど注意してゐたにもかゝはらず、父は更に第三の穴に転げ落ちたのである。提灯は又もや消えた。
「畜生《ちくしよう》。おれは狐《きつね》にでも化かされてゐるのぢやないかな。」
 まさかとは思ひながらも、再三の失敗に父はすこしく疑念をいだくやうになつた。
「もう思ひ切つて今夜は止《や》めよう。」
 父は第三の穴を這《は》ひあがつて家《うち》へ引返《ひつかへ》した。芒《すすき》の葉で頬《ほほ》や手さきを少しく擦《す》り切つたたゞけで、別に怪我《けが》といふほどの怪我はしなかつたが、三度もおとし穴に落ちたのであるから、髪の毛にまで泥を浴びてゐた。父は素裸《すつぱだか》になつて、井戸端《いどばた》で頭を洗ひ、手足を洗つた。
「まつたく狐の仕業かも知れませんね。」と、母は云つた。
 父ももう根負《こんま》けがして、そのまゝおとなしく蚊帳《かや》のなかに這入《はい》つた。しかも彼《か》の女のことが何《ど》うも気になるので、夜の明けるまでおち/\とは眠られなかつた。
 夜は明けても今朝は一面の深い靄《もや》が降りてゐて、父の探索を妨《さまた》げるやうにも見えた。それが晴れるのを待ちかねて、父は身ごしらへをして再び昨夜《ゆうべ》の跡をたづねると、草ぶかい空地《あきち》のまん中から少しく西へ寄つたところに、第一の穴を発見した。それが最初にころげ込んだ穴であることは、片足の草履《ぞうり》が落ちてゐるのを見て証拠立てられたが、そこに女のすがたは見えなかつた、それからそれへと探しまはると、五百坪ほどの空地のうちに都合九ケ所の穴が掘られてゐることが判つた。そのうちの二ケ所は遠い以前に掘られたものらしく、穴の底から高い草が生え伸びてゐたが、他の七ケ所は近ごろ掘られたもので、その周囲には新しい土が散乱してゐた。しかもその穴を掩《おお》ふために大きな草を沢山《たくさん》に積み横たへて、さながら一種のおとし穴のやうに作られてゐるのが父の注意をひいた。
「なんのために掘つたのでせうねえ。」と、父のあとから不安らしく跟《つ》いて来た母が云つた。
 何者がこんなことをしたのかは固《もと》より判らないが、一体なんの為にこんなことをしたのかを、父は先《ま》づ知りたかつた。おとし穴の目的とすれば、こんなところに穴を掘るのもをかしい。たとひ草原《くさはら》同様の空地であるとしても、こゝはわたしの家《うち》の私有地で他人がみだりに通行すべき往来ではない。そこへ毎夜忍んで来ておとし穴を作るなどとは、常識から考へて鳥渡《ちよつと》判断に苦《くるし》むことである。それにしても、そのおとし穴に落ちたらしい彼《か》の女は何者であらうか。おそらく父が引返して提灯《ちようちん》を持つて来るあひだに、そこを這ひ出して姿をかくしたのであらうが、その当時二三ケ所でがさがさ[#「がさがさ」に傍点]いふ響を聞いたのから考へると、彼の女のほかにも何者かゞ忍んでゐたのかも知れない。あるひは近所の男と女とがこの空地を利用して密会してゐたのではあるまいか。かれらは何かに驚かされて、あるひは父の跫音《あしおと》におどろかされて、あわてゝ逃げようとする機《はずみ》に、女はあやまつて彼《か》の穴に転げ落ちたのではあるまいか。それで先《ま》づ女の方の解釈は付くとしても、彼のおとし穴のやうなものは何であらうか。あるひは彼等がそこで密会することを知つて、何者かゞ悪戯《いたずら》半分にそんな落穴し穴を作つて置いたのであらうか。
 かう解釈してしまへば、それは極めてありふれた事件で、単に一場《いちじよう》の笑ひ話に過ぎないことになる。父もさう解釈して笑つてしまひたかつたが、その以上に何かの秘密が潜《ひそ》んでゐるのではないかといふ疑ひがまだ容易に取除《とりの》けられなかつた、そればかりでなく、兎《と》もかくも自分の所有地へ入《い》り込んで、むやみに穴を掘つたりする者があるのは困る。いづれにしても、今夜ももう一度張番《はりばん》して、その真相を確めなければならないと、父は思つた。
 父は官吏――その時代の言葉でいふ官員さんであるので、そんな詮議《せんぎ》にばかり係り合つてはゐられない。けふも朝から出勤してゆふ方に帰つて来たが、留守《るす》のあひだに別に変つたことはなかつた。今夜も家内の者を寝かしてしまつて、父ひとり縁側《えんがわ》に坐《すわ》つてゐると、ゆうべ碌々《ろくろく》眠らなかつたせゐか、十二時ごろになると次第に薄ら眠くなつて来た。けふも暑い日であつたが、更けると流石《さすが》に涼しい夜風が雨戸の隙間《すきま》から忍び込んで来る。それに吹かれながら、父は縁側の柱によりかゝつて、ついうと[#「うと」に傍点]/\と眠つたかと思ふと、また忽《たちま》ちに眼《め》をさまされた。例の空地《あきち》の草むらの中で、犬のけたゝましく吠《ほ》える声がきこえるのであつた。つゞいて女の悲鳴が又きこえた。
 雨戸をあけて、父は庭先へ跳《おど》り出た。ゆうべの経験よつて今夜は提灯《ちようちん》を用意してゐたのである。片手に提灯、かた手には木の枝を持つて、四《よ》つ目《め》垣《がき》を廻つて駈《か》けてゆくあひだにも、犬は狂ふやうに吠え哮《たけ》つてゐた。その声をしるべにして、父は草むらをかき分けてゆくと、犬は提灯の光をみて駈けよつて来た。
 その当時、某外国の公使館が私の家《うち》の隣にあつて、その犬は何とかいふ書記官の飼犬《かいいぬ》である。犬は毎日のやうにわたしの庭へも遊びに来て、父の顔をもよく知つてゐるので、今この提灯を持つた人に対しては別に吠え付かうとも咬《か》み付かうともしなかつたが、それでも父の前に来て仔細《しさい》ありげに低く唸《う》なつてゐた。父は犬にむかつて、手まねで案内しろと云つた。犬はその意をさとつたらしく、又もや頻《しき》りにそこらを駈け廻つてゐるので、父もそのあとに付いて駈けあるいてゐると、犬は一《ひと》むら茂る芒《すすき》の下へ来て、前足で芒の根をかきながら又しきりに吠えた。急いで近寄つて提灯を差付《さしつ》けると、そこにも一つの穴があつて、その穴から一人の大男があたかも這《は》ひ上《あが》つて来た。
 よく見ると、それは公使館付《づき》の騎兵で、今は会計係か何かを勤めてゐるハドソンといふ男であつた。彼は手にピストルを持つてるた。「今夜は犬がひどく吠えます。」と、ハドソンは明快な日本語で云つた。「わたくし見まはりに参りました。こちらの藪《やぶ》のなかに人が隠れて居りました。その人は穴をほつて居ります。わたくし取押《とりおさ》へようとしますと、その人逃げました。わたくし穴に落ちました。」
「その人は男ですか、女ですか。」と、父は訊《き》いた。
「暗いので、それ判りません。」と、ハドソンはからだの泥を払ひながら答へた。
 二人はしばらく黙つて露の中に突つ立つてるた。犬はまだ低く唸《うな》つてゐた。ハドソンはおそらく穴泥坊であらうと云つたが、泥坊がなぜ幾つもの穴をほるのか、それが解きがたい謎《なぞ》であつた。
 あくる朝になつて、父は再び空地を踏査すると、なるほど新しい穴がまた一つ殖《ふ》えてゐた。ハドソンの落ちたのは古い穴で、彼はそんな落し穴が幾つも作られてゐることを知らないで、一昨夜の父とおなじやうな目に逢《あ》つたのである。

      三

 何者がなんのためにこゝへ来て、根《こん》よく幾つもの穴を掘るのか、父はいよ/\その判断に苦しめられた。そこで、ハドソンと相談して、今夜はふたりが草むらの中に隠れてゐる事にすると、年の若い英国の騎兵はこの探険に興味を持つてるるらしく、宵のうちから草むらに忍んでゐて、なにかの合図に口笛を吹くと云つた。しかも十時を過ぎる頃まで彼の口笛はきこえなかつた。家内の者を寐《ね》かしてから、父も身支度して空地《あきち》へ出張したが、今夜は風のない夜で、草の葉そよぐ音さへもきこえなかつた。二人は夜露にぬれながら徒《いたず》らに一夜をあかした。
「奴等《やつら》も警戒して迂闊《うかつ》に出て来ないのだらう。」と、父は思つた。第一の夜には父に追はれ、第二の夜には犬に追はれ、かれらも自分達の危険を慮《おもんぱか》つて、こゝへ近寄ることを見合せたのであらう。常識から考へても、さうありさうなことである。
 ハドソンはその後三晩張番《はりばん》をつゞけたが、遂《つい》になんの新発見もなかつた。父は夜露に打たれた為に少しく風邪《かぜ》を引いたので、当分は張番を見あはせることになつた。それでも毎朝一度づつは空地を見まはつて、新しい穴が掘られてゐるか何《ど》うか調べてゐたが、最初に発見された九ケ所と後《のち》の一ケ所と、それ以外には新しい穴は見出《みいだ》されなかつた。彼等もこの悪戯《いたずら》――先《ま》づさうらしく思はれる――を中止したらしかつた。
 それから半月あまりは無事に過ぎた。その以来、家内の女たちを脅《おびや》かすやうな怪しい響きもきこえなくなつて、この問題も自然に忘れられかゝつた時に、父は不図《ふと》あることを思ひついた。それは恰《あたか》も日曜日の朝であつたので、父はすぐに近所の米屋をたづねた。
 米屋は前に云つたやうな事情で、わたしの家《うち》を昔の持主から譲りうけて、更にそれをわたしの父に売渡したのである。さうして、現在もわたしの家《うち》へ米を入れてゐる。その米屋の主人に逢《あ》つて、むかしの持主のことをたづねると、主人はかう答へた。
「その節も申上げましたが、あなたのお屋敷には安達《あだち》さんといふお武家が住んでいらしつたのでございますが、そのお方は脱走して、越後口《えちごぐち》で討死《うちじに》をなすつたといふことでございます。」
「その安達といふ人の家族はどうしたね。」と、父はまた訊《き》いた。
「どうなすつたか判りませんでしたが、一月《ひとつき》ほども前に、その奥さんがふらり[#「ふらり」に傍点]と尋ねておいでになりまして、なんでも今までは上総《かずさ》の方とかにお出でになつたといふお話でした。さうして、わたしの家《うち》には誰が住んでゐるとお聞きになりましたから、矢橋さんといふ方がおすまひになつてゐると申しましたら、さうかと云つてお帰りになりました。」
「その奥さんは今どこにゐるのだらう。」
「やはり同区内で、芝の片門前《かたもんぜん》にゐるとかいふことでした。」
「どんな風をしてゐたね。」
「さあ。」と主人は気の毒さうに云つた。「ひどく見すぼらしいといふ程でもございませんでしたが、あんまり御都合はよくないやうな御様子でした。」
「奥さんは幾歳《いくつ》ぐらゐだね。」
「瓦解《がかい》の時はまだお若かつたのですから、三十五六ぐらゐにおなりでせうか。」
「子供はないのですかね。」
「お嬢さんが一人、それは上総の御親類にあづけてあるとか云ふことでした。」
「片門前はどの辺か判らないのかね。」
「先様《さきさま》でも隠しておいでのやうでしたから、わたくしの方でも押返《おしかえ》しては伺《うかが》ひませんでした。」
 それだけのことを聞いて、父は帰つた。父の想像によると、庭のあき地へ忍んで来て、一度は穴に落ち、一度は犬に追はれた女は、この安達の奥さんであるらしく思はれた。もち論、取留《とりと》めた証拠があるわけではないが、庭のあき地に穴を掘るのは単にいたづらの為にするのではない。おそらくは土を掘りかへして何物かを探し出さうとするのであらう。安達の家《いへ》に何かの伝説でもあるか、あるひは脱走の際に何かの貴重品でも埋づめて立去つたか、二つに一つで、それを今日《こんにち》になつてひそかに掘り出しに来るのではあるまいか。今日《こんにち》では土地の所有権が他人に移つてゐるので、表向きに交渉するの面倒を避けて、ひそかに持ち出して行かうとするのではあるまいか。穴を掘るのは心あたりの場所を掘つて見るのであらう。それが成功して幾度も取りに来るのか、あるひは不成功のために幾度もさがしに来るのか、それは判らない、また彼《か》の女のほかに幾人《いくたり》の味方があるか、それも判らない。
 もし果してさうであるとすれば、まことに気の毒のことである。自分は決して自己の所有権を主張して、遺族等《ら》の発掘を拒《こば》んだり、あるひはその掘出し物の分前《わけまえ》を貰《もら》はうとしたりするやうな慾心《よくしん》を持たない。正面からその事情を訴へて交渉してくれば、自分はこゝろよくその発掘を承諾する積りである。若《も》しその住所がわかつてゐれば、念のために聞き合せるのであるが、片門前とばかりでは少し困る。父は再び彼《か》の米屋へ行つて、安達の奥さんといふ人が重ねて来たらば、その住所番地を聞きたゞして置いてくれと頼んだ。
 それでも父はまだ気になつてならなかつた。米屋の主人の話によると、彼《か》の奥さんはあまり都合が好くないらしいといふ。してみれば、埋《うず》めてある財《たから》を一日も早く取出したいと思つてゐるに相違ない。片門前は二町であるが、さのみ広い町ではない。軒別《けんべつ》にさがしてあるいても知れたものであると、父はその次の日曜日に思ひ切つて探しに出た。広い町でないと云つても、一丁目から二丁目にかけて軒別に探しまはるのは容易でない。父はほとんど小半日《こはんにち》を費《ついや》して、遂《つい》に安達といふ家《うち》を見出《みいだ》し得ないで帰つた。あるひは他人の家《うち》に同居でもしてゐるのではないかとも思はれた。
 この上は米屋の通知を待つの外《ほか》はなかつたが、安達の奥さんは再び米屋の店にその姿をみせなかつた。わたしの庭のあき地へも誰も忍んで来る様子はなかつた。
 それから又、半月あまりを過ぎて、九月はじめの新聞紙上の片門前の女殺しの記事があらはれた。森川権七《ごんしち》といふ古道具屋《ふるどうぐや》の亭主がその女房のおいねを殺したといふのである。権七は三十一歳で、おいねは年上の三十七であつた。新聞の記事によると、おいねは旧幕臣の安達源五郎の妻で、源五郎は越後へ脱走するときに、仲間《ちゆうげん》の権七に供をさせて妻のおいねと娘のおむつを上総の親戚の方へ落してやつたが、源五郎戦死の噂《うわさ》がきこえて後《のち》、おいねと権七の主従関係はいつか夫婦関係に変つてしまつた。それには親戚の者どもの反対もあつたらしく、おいねは娘のおむつを置去《おきざ》りにして、若い男と一緒に上総を駈落《かけおち》して、それからそれへと流れ渡つた末に、去年の春頃から東京へ出て来て、片門前に小さい古道具屋をはじめたのである。
 権七は小才《こさい》のきく男で、商売の上にも仕損じが無く、どうにか一軒の店を持通すやうになると、かれは年上の女房がうるさくなつて来た。殊においねは旧主人をかさに被《き》て、兎《と》かくに亭主を尻《しり》に敷く形があるので、権七はいよ/\いや気がさして来た。眼《め》と鼻のあひだには神明《しんめい》の矢場《やば》がある。権七はその若い矢取女《やとりおんな》になじみが出来て、毎晩そこへ入《い》り浸《びた》つてゐるので、おいねの方でも嫉妬《しつと》に堪へかねて、夫婦喧嘩《げんか》の絶え間はなかつた。
 その晩もいつもの夫婦喧嘩から、一杯機嫌の権七は、店にならべてある商売物のなかゝら大工道具の手斧《ておの》を持ち出して、女房の脳天を打ち割つたので、おいねは即死した。権七も流石《さすが》に驚いてどこかへ姿をかくした。
 安達の奥さんの消息はこれでわかつた。古道具屋の店は森川権七の名になつてゐるので、父がさがし当てなかつたのも無理はなかつた。二三日の後《のち》に、父が米屋の主人に逢《あ》ふと、主人もこの新聞記事におどろいてゐた。
「権七といふ仲間はわたくしも知つてゐます。上州《じようしゆう》の生れだとか聞きましたが、小作りの小粋《こいき》な男でした。あれが御主人の奥さんと夫婦になつて……。おまけに奥さんをぶち殺すなんて……。まつたく人間のことはわかりませんね。」と、主人は歎息《たんそく》してゐた。

 九月の末に大暴風雨《おおあらし》があつた。午後から強くなつた雨と風とが宵からいよ/\はげしくなつて、暁方《あけがた》まで暴《あ》れた。殊《こと》にこゝらは品川の海に近いので、東南《たつみ》の風は一層強く吹きあてゝ、わたしの家《うち》の屋根瓦《やねがわら》も随分《ずいぶん》吹き落された。庭の立木も吹き倒された。塀もかたむき、垣もくづれた。
 しかし東の白む頃から雨風もだん[#「だん」に傍点]/\鎮《しず》まつて、あくる朝はうらゝかに晴れた日となつたが、どこの家《うち》にも相当の被害があつたらしい。父は自分の家《うち》の構へ内《うち》を見まはつて歩くと、前に云つた立木や塀の被害のほかに、西側の高い崖《がけ》がくづれ落ちてゐるのを発見した。幸ひにその下は空地《あきち》であつたが、若《も》しも住宅に接近してゐたらば、わたしの家《うち》は潰《つぶ》されたに相違なかつた。
 早速に出入りの職人を呼んで、くづれ落ちた土を片附《かたづ》けさせると、土の下から一人の男の死体があらはれた。男は崖くづれに押潰《おしつぶ》されて生埋《いきう》めとなつたのである。かれは手に鍬《くわ》を持つてるた。警察に訴へてその取調べをうけると、生埋めになつた男は、女房殺しの森川権七とわかつた。
 権七は彼《か》の事件以来、どこかに踪跡《そうせき》を晦《くら》ましてゐたのであるが、どうしてこゝへ来てこんな最期を遂《と》げたのか、だれにも想像がつかなかつた。
「やつぱりわたしの想像が中《あた》つてゐたらしい。」と、父は母にさゝやいた。
 あき地の草原《くさはら》へ穴を掘りに来た者は、おそらく権七とおいねであつたらう。父が想像した通り、彼等は何かの埋蔵物を掘り出すために、幾たびか忍んで来たらしい。権七は女房を殺して、どこにか姿を隠してゐながらも、矢《や》はり彼《か》の埋《うず》めたるものに未練があつて、風雨《あらし》の夜を幸ひに又もや忍び込んで来て、今度は崖の下を掘つてゐたらしいことは、かれの手にしてゐた鍬によつて知られる。しかも風雨《ふうう》はかれに幸ひせずして、却《かえ》つて崖の土をかれの上に押落《おしおと》したのであつた。
 これらの状況から推察すると、彼等は遂《つい》に求むるものを掘り出し得なかつたらしい。それが金銀であるか、その他の貴重品であるか、勿論《もちろん》わからない。父はかれらに代つて、それを探してみようとも思はなかつた。
 明治十年――今から振返ると、やがて五十年のむかしである。あの辺の地形もまつたく変つて、今では一面の人家《じんか》つゞきとなつた。権七夫婦が求めてゐた掘出し物も、結局この世にはあらはれずに終るらしい。


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底本:岡本綺堂『猿の眼』日本幻想文学集成23 種村季弘編 国書刊行会 1993年9月10日 初版第1刷発行
入力:和井府 清十郎

※今日の人権意識からすると不適切と思われる語句や表現が見受けられますが、時代的な背景と作品の価値に鑑み、また原文の同一性を保持・尊重する立場からそのままとしました。

公開:2001年3月1日
字訂正:2001年3月2日




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