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綺堂ディジタル・アーカイヴ




つぎは綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです。伝奇文学の本家を題材に、中国の怪奇文学の歴史と見方がよくわかりますし、中国の怪奇物を編集したときにもこれに基づいているようです。それに、こちらの方が大事なのですが、綺堂の伝奇文学観が出ているのが興味深いです。
なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください.




支那の怪談文学
            岡本綺堂
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 私に課せられた題は「支那の怪談文学」といふのであるが、その範囲は甚だ汎い。しばらくそれを小説筆記の類に限るとしても、支那は怪談の総本家で、実に世界無比といつて好い。現に上海の商務印書館発行の「旧小説」は漢魏六朝より前清に至る小説筆記類八百四十余種を抄録してゐるが、その記述の七八割は神仙狐鬼の物語である。而も「旧小説」の中に、今古奇観や、剪燈新話や、子不語や、聊斎志墨のたぐひは総てオミットされてゐるのであるから、それ等をこと/″\く網羅したら文字通りの汗牛充棟となるであらう。その大部分が前にもいふ通り、神仙狐鬼の怪談である。
 支那には「志怪の書」といふ名称がある。而も見方に因つては、支那の小説筆記のたぐひ、殆ど皆な怪談文学で、特に「志怪」の名を以て区別し難いくらゐである。明の胡応麟は小説を志怪、伝奇、雑録、叢談、弁訂、箴規の六類に区別してゐる。清の紀物は雑事を叙述するもの、異聞を記録するもの、瑣語を綴輯するもの、三類に区別してゐる。以上の六類と三類が先づ小説の範園に属すべきものと一般に認められてゐるらしいが、一部の著書にして志怪と雑録とを混じてゐるものもあり、雑事と異聞とを混じてゐるものも多いのであるから、大抵の小説筆記の一部分には「志怪」の記事が見出される事になる。したがつて、それを説くこと容易でない。
 いづこの国民も昔は怪異を信じた。わが国の「平家物語」や「太平記」のやうな歴史風の物語にも、怪異の記事を乗載せてゐる。支那の「左氏伝」などにも怪異の記事が屡々発見される。そんなわけであるから、支那の怪談文学がいつ頃から始まつたかと云ふことを確めるのは困難であるが、民間に流布する各種の伝説が文学の上に現れて、いはゆる「志怪の書」を生み出したのであらう。
 支那の正しい記録の上で、狐妖を伝へたものは秦末の陳勝関広に始まるといふ。彼等が兵を挙げる時、みづから楚の後裔と称した。さうして、狐の声を巧みにする者を使つて、暗夜に「楚、大に興らん」と叫ばせた。勿論これは人心をあつめる計略であつたが、その当時の人間が已に狐妖を信じてゐたればこそ、彼等もこの手段を用ゐたのであつて、狐妖が久しく民間に伝へられてゐたのを察知することが出来る。  魯迅の説によると、漢代の小説類はみな偽書で、後世の作者の仮托であるといふ。或はそんな事であるかも知れない。そこで、遠い昔の穿索はしばらく措いて、先づ六朝時代から始めると、この時代の怪談文学として代表的のものは、何と云つても東晋の干寶の撰に成る「捜神記」二十巻であらう。それに次で陶淵相の「捜神後記」十巻がある。この両書も偽作であるといふ説もあるが、たとひ誰が書いたにしても、六朝時代の作物には相違なく、後世無数の「志怪」の書類の祖とも称すべきものである。
 この両書に限つたことでは無いが、その時代における怪談の特色は、世に幽と明との二つの世界があり、生ける人もあれば幽霊もあると云ふことが一般に信ぜられてゐたので、今日の人が考へるやうに、特に不思議の事件を語るのではなく、かう云ふ事件も実際にあり得ると信じながら筆を執つた事である。彼の干寶も最初は怪異を信じなかつたが、父の妄に不思議の出来事があつたので、それから怪異を信ずるやうになつて、遂に「捜神記」の著作をなしたのであると伝へられてゐる。
 それであるから、これ等の著作にあらはれてゐる幾多の怪談は、単にかう云ふ出来事があつたと説かれてゐるだけで、それに封する批評も説明もない。もちろん勧善懲悪や因果応報の理などには全然触れてゐないで、唯ありのまゝに怪を語つてゐる。それが怪談文学として価値の高い点である。
 唐代になると、文物が大に進むに連れて、色々の小説が現れて来た。従来は伝聞又は古記による事実をそのまゝに記述したのであるが、唐代の作家は事実に潤色を加ヘ、或は架空の事実を捏造するやうになつた。文学としては一進歩であるが、怪談としては其の価値がだん/\に薄れて来た観がある。作者不詳の「白猿伝」の如きは非常に有名なものになつてゐるが、実は欧陽詢といふ筆者の顔が猿に似てゐるといふので、或人がいたづら半分にこんな伝奇を創作したのであるといふ。
 そんなわけで、怪談にもだん/\に作為の跡が現れて来て、自然を缺くやうになつたのは争はれない。それでも唐の殷成式の「酉陽雑爼」の中に編入されてゐる「諸皐記」二巻のごときは、怪談文学中の白眉たるべきものであらう。前に云つた「捜神記」前後三十巻と、この「酉陽雑姐」正続二十巻とは、早くから我国に渡来してゐるので、彼の「今昔物語」「宇治拾遺物語」等に種々の材料を提供してゐる。江戸時代に出版された幾多の怪談小説集も、大抵は支那小説の翻案で、殊に「捜神記」と「酉陽雑爼」に拠るものが多いのは周知の事実である。
 六朝及び唐代に多数の「志怪の書」が生み出されてゐるが、多くは散佚して其の全本を見ることは出来ない。後世の読書子がその一端を窺ひ得るのは「太平広記」のお蔭である。これは宋の太宗の命によつて、一種の政府事業として李ム等が監脩の下に作られたもので、汎く古今の小説伝奇類を抄録し、実に五百巻の大冊を成就したのである。したがつて、その原本は已に堙滅してゐながら、「太平広記」に抄録されたるものに因つて、その大体を窺ひ知ることが出来るのは、原作者は勿論、一般読書子の幸でないとは云へない。「太平広記」の全部が志怪の書とはいへないが、その大部分がいはゆる怪談文学であるから、怪談の集大成と云つてもよい。その編輯員の一人たる徐鉉は自分一個の創作として、別に「稽神録」を著はしてゐるが、これも一種の怪談集である。
 宗代に於て「太平記」に次ぐ大作は、洪邁の「夷堅志」である。これもおびたゞしい奇談怪談を蒐録したもので、一部の人々の間には「太平広記」の模倣であるとか、焼直しであるとか云ふ批評もあるが、兎もかくも独力を以て四百二十巻の大著をなしたのは偉とすべきであらう。但し原本の四百二十巻は散佚して全からず、今日一般に流布されてゐるのは、明代に出版された五十巻に過ぎない。
 降つて元明時代に至ると戯曲小説は大に勃興し、彼の「水滸伝」や「金瓶梅」のごとき有名の作物が続々出現してゐるが、単に怪談文学の方面から観ると、その質は頗る低下した傾向がある。瞿宗吉の「剪燈新話」は例の牡丹燈籠一件で我国には汎く知られてゐるが、作為の跡が著るしく眼に附いて、いかにも拵へ物であると云ふことを感じさせるので、支那の文学者間では余り高く評価してゐない。
 宗以後の怪談文学がだん/\に其の価値を低下させた原因は、例の勧善懲悪や因果応報の物語が多きを占めて、一種の御説教めいたものに傾いたことである。たとへば、悪人が善人を殺した為に、その悪人は善人の幽霊に執殺されるとか、或は厄病に仆れるとか云ふ。或は又、役人が賄賂を貪つて不公平の裁判を行つた為に、不測の災難に逢つたとか、一家が死絶えたとか云ふ。勿論むかしの怪談にも、僧侶の筆に成つたものには然ういふたぐひの物語が無いではなかつたが、一般に怪談を教訓的に説くやうになつたのは、宋以後の傾向である。怪談を他の目的に利用するやうになつては、文学としての価値が低下するのは当然である。
 支那では学者も鬼を信じた。少くも鬼を談ずるを好む者が多かつた。阮膽のやうな無鬼論者は少い。その阮膽も無鬼論を唱へたが為に、鬼に襲はれたと伝へられてゐる。孔子が「怪力乱神を語らず」と云つても、それを語る者が多いのであるから致方がない。学者已に然り、況んや民衆に於ておやで、狐鬼の談は古来一般に語り伝へられてゐる。それを利用して教訓の具に供しようとするのも自然の理で、怪談に何かの理窟を結び付けて、因果応報を説くことになつて仕舞つた。それでなければ世教に益なきものと認められるやうにもなつた。
 清代に入つて小説筆記の類は盛に行はれ、康熙乾隆の文運隆昌に伴つて多数の怪談文学も発表されてゐる。例の「聊斉志異」を始めとして、袁隨園の「子不語」や、紀暁嵐の「閲微草堂筆記」などが最も世に知られ、就中「閲微草堂筆記」は斯界に新生面を拓いたものとして一般に愛読されてゐるやうである。「子不語」は正続三十四巻で、一千十六種の説話をあつめ、「閲微草堂筆記」は二十四巻で、一千二百八十二種の説話を集め、それ等の大部分がみな怪談であるから、結局は大同小異で、取立て云ふほどの事はない。新生面を拓いたと云はれる「閲微草堂筆記」も、色々の理窟を結び付けてあるだけに、我々には却つて興味が薄い。
 以上、極めて簡短な説明に[#底本には「に」なし]過ぎないが、要するに支那の怪談文学を知らんとする者は、彼の「捜神記」と「酉陽雑爼」を通読すれば十分である。この両書が「志怪の書」の祖をなすもので、後世無数の怪談はそれを基礎として、右の物を左ヘ、横の物を縦に置き換へたに過ぎず、量に於ては優るとも、質に於ては劣つてゐる。殊に前にも云ふ如く、怪談を単なる怪談として伝へず、勧善懲悪や因果応報の意を寓るに及んで、怪談文学の価値はいよ/\低落したのである。


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図の左側が掲載号表紙(原本はカラー)、右頁が本文掲載頁。


出典および底本:「支那の怪談文学」『科学ペン』1938(昭和13)年5月1日号43−46頁

なお、振りかな(ルビ)は《》で示す
入力:和井府 清十郎
β版公開:09/11/2000



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