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綺堂・批評

私たちは岡本綺堂をどう見てきたのでしょう

◆綺堂は文壇作家としては評価されなかった

 岡本綺堂は、いわゆる文壇作家ではありません。彼の作品は純文学の作品として、文壇批評の対象ともならなかったのです。現に、岡本綺堂を文学全集の中に入れるものは、ないとはいえませんが、ほとんどありません。筑摩書房の現代日本文学全集とか戦前の、改造社の現代日本文学全集などくらいでしょうか。

 岡本綺堂は、劇作家(戯曲・狂言作家とも)としてデビューするわけですが、むしろ半七捕物帳や怪談・怪奇物を書いたお陰で有名になりました。そのためか、岡本綺堂はわが国の文学のジャンル分けでは大衆文学に入れられてきました。純文学とか大衆文学とかのジャンル分類に一撃を加えているのは、下記の加太こうじ氏の論評ですが、それはお読みただくとして、ここでは、それぞれの批評から綺堂作品の多面性を浮き彫りにできるのではと思います。

 むしろ、綺堂やその作品がどうであったかやあるかよりも、曖昧な言い回しになりますが、時代が岡本綺堂とその作品を他の作品との関連でどう見てきたか、あるいは欲して“需要”しようとしたのか、の方から見るのがいいかもしれません。テクスト(作品)があるのではなく、リーダー(読者)がある、ということなのでしょう。

 下記のものは、多くが岡本綺堂の作品を収録した本の解説や跋文、それに岡本綺堂の特集記事などからのもので、その性質上綺堂の推薦や賛美いうレンズがかかっているかもしれません。もう少し、広く読み集める必要がありそうです。

 いずれはオリジナルな“綺堂評”を書きたいのですが、作品を網羅して読んでいるわけでもなく、批評するような才能や視点をもっているわけでもないので、とりあえずは先輩諸氏による、また、私が勝手に切り取った、批評をメモ・資料としてここに書き留めることにします。    ― 清十郎



◆綺堂作品の人物は反秩序的というも、愚かなり

○今尾哲也『歌舞伎の歴史』(岩波新書・2000)

 むろん、綺堂の歌舞伎作品をもっぱら対象としての批評だが、私の知っている中では、もっともスピリテュアルに綺堂の意義を捉えたものといえるだろう。

「綺堂は、反秩序的な生き方を選択する主人公をあざやかに描き出す。たとえば、『修禅寺物語』の面打ち夜叉王は、……」(191頁) 「綺堂の作品は、近代的な自我の意識と社会秩序との葛藤をとおして、社会から疎外されたもの、というよりはむしろ、自ら社会を疎外することによって自由を求めるものを主人公とする。彼らは、いわば、新しい時代精神が発見した新しいカブキ者なのである。」 (192―193頁) このように評価は高い。

○風間賢二「綺堂とキング モダンとポストモダン」『鳩よ!』192号40頁(2000.4)

「すでに当時、怪奇幻想小説は百花繚乱の状態にあったが、英国モダンホラーの精髄と中国志怪のモチーフを我が国の土壌に移植した作家として、岡本綺堂は出色の存在だった。……怪異や恐ろしい超常現象に対して江戸時代の因果応報説(モラリズム)や明治時代の心理的解釈説(合理主義)をあてはめず、不条理や不確実なものとして淡々と語ったところに綺堂の『青蛙堂鬼談』を中心とする怪談・奇談の新しさ=モダンホラーぶりが窺える。」(41―42頁)
「キングのB級感覚に彩られたどぎつい明確なホラー短編より、綺堂の江戸情緒に彩られたノスタルジックな曖昧模糊とした怪談・奇談の方が読者の想像力を多く要求するということだ。」(43頁)

綺堂が時代を経ても読まれるという背後には、このようなことがあるということなのか。


○横山泰子『江戸東京の怪談文化の成立と変遷― 一九世紀を中心に』(1997・風間書房)

綺堂の怪談が、江戸や旧来の怪談とは異なる点をつぎのように見ている。そして、それは綺堂の怪談の抑制的な特徴を形作ることになったのである。

「 江戸時代の怪談文学のうちのあるものは、仏教の教えを宣伝するために因果の理によって全ての怪異現象を関連づけようとしていたし、また怪談狂言は人々の興味を惹きつけるために刺激的な場面を肥大化させていた。しかし、綺堂の好みはあくまで、周囲の人々から聞いたささやかな怪談、解釈も文学的な修飾もなされていない、生の話にあった。「むづかしい怪談劇」で書かれていたように、化け物の姿をあからさまに見せず、それでいて妖気が漂う作品、理論によって解明し尽くせない謎をほのめかすような作品こそ、統堂の目ざしていた世界だったのだ。そのため、綺堂の作品は決して猟奇的にはならなかった。物語におけるグロテスクな部分を肥大化させることを嫌い、刺激的な描写を避けたため、ある種の期待を抱きながら読むと肩すかしを食わせられる、抑制的な作風となっている。」

○杉浦日向子 「うつくしく、やさしく、おろかなり」ちくま日本文学全集『岡本綺堂』(筑摩書房・1993)

「かれ(=半七、注・和井府)を生んだ作者は当時四十五歳の痩形の長身で、紋付の羽織袴の威儀を正した姿の似合う、誰の眼にも立派な門をかまえる先生風であった。色の白い、端正な輪郭に、大師匠かなんぞのように潔癖の性質を映す真っ黒な瞳を持っているのが、彼の細長い顔の著しい特徴であった。」(460頁)

「うつくしく、たおやかな、四季の風物に包まれて、やさしく、つつましやかな、人が暮している。それらの平和な景色の中に、「逢魔が時」が潜んでいて、せつなくも、おろかな、人の生き様、死に様を、瞬間、闇の中にうかびあがらせるのである。」(同466頁)

「綺堂の筆は、その瞬間を、とらえて描く。  たとえば「桐畑の太夫」の小坂丹下。「修禅寺物語」のかつら、「相馬の金さん」の相馬金次郎。みなつまらない死に方をしている。犬死にだ。それらの、うつくしくやさしくおろかな生死を、綺堂は、少しも蔑むことなく、あたら美化することなく、毅然とした気品をもって描く。そこが凄い。」(466―467頁。但し、いずれも原文の読み仮名は略した。)

○志村有弘 解説・岡本綺堂・半七捕物帳(三)春陽文庫(2000)

教育的姿勢を強調する。

「岡本綺堂という作家は、教育的姿勢のある作家であった。作品の中で、時々、岡引とは何か、捕物帳とは何か、というようなことについて説明をする。」

「江戸の香りというべきものが伝わって来る。つまりは、人間が描かれていること、江戸の<時代>が活写されているということだ。」

○豊島與志雄 跋・半七捕物帳 同光社

この捕物帳のよいところは「あくまでも人間中心であること」で「風俗図絵が生彩を放」っており、「多くの捕物帳のうちでも、最も長い鑑賞に耐へ得るものと私は思ふ。」

○森村誠一 解説・岡本綺堂・半七捕物帳(2)光文社時代小説文庫(1986)

 綺堂の作品はどれも抑制が効いていますね。現代の作品や作風と比べると、はるかにどぎつくなく、むしろ物足りないくらいにあっさりしている。そこに綺堂の特徴があるというのですが……

「 半七捕物帳の特徴は抑制した語り口にある。右門捕物帳のような華やかな立ち回りや、銭形平次や人形佐七のような艶っぽさはない。半七老人の抑えた語り口の中に幕末の江戸に発生した奇っ怪な犯罪が淡々と語られる仕組みになっている。「槍突き」は文化三年(一八○六〉、「小女郎狐」は寛延元年(一七四八)の事件で半七の又聞きという設定になっている。中にはかなり残酷な殺人事件などがあるが半七老人の語り口にかかると、紗(しや)を通して透かし見るようなうるんだ光沢と色調を帯びる。犯罪が半七の推理による間接照明を当てられて不思議な奥行きをもたされる。半七の口を通して江戸時代の風物が生き生きとよみがえり、読者はあたかもタイムスリップしたかのような臨場感をもって一語一語を読まされてしまう。
 推理小説なので内容を詳しく紹介できないが、「津の國屋」は背筋の寒くなるような怪談を見事に合理的に解決した秀作である。複雑にからみ合った人間関係がラストで快刀乱麻を断つ如(ごと)く解決する。」(371頁)

◆綺堂の怪談は怖くない。綺堂の怪談は、ホラーではない

種村季弘 「江戸殺し始末」(解説)『日本幻想文学集成23 岡本綺堂 猿の眼』(1993)

「岡本綺堂の怪談も同じようにこわくない。ついでにいえば泉鏡花の怪談もこわくない。むろん怪談であるからには、こわいことはこわいのである。しかしこわさよりさきになつかしさに胸を打たれる。」252頁

旧幕の家臣の子として育った綺堂には武士の忠義や回顧、あるいは新政府への距離感や批判的な点があるはずであり、その点を作品に読み取ろうとするけれども、そうは上手くいかない。読みながら、なぜだろう……と思った。種村氏はつぎのように見ている。

「 綺堂自身はおそらく武家の大義などには無縁の人だった。すくなくとも瓦解の時を最後にそういう公生活の身のふり方からは降りている。血なまぐさいことが大嫌い。血らしいものは流れても、血のような醤油であり、舞台の血糊でしかない。日清日露の戦役に取材しても、後日談の傷夷軍人の身のふり方(「鰻に呪はれた男」)や、戦争の大義より謎めいた私生活のほうに重点のある戦場の怪事件(「火薬庫」)を描いて、戦意昂揚にはくみしない。しかしまたそういう人であるだけに、新参の明治近代をこころよくは思わぬにして、みずから手を出して反体制めいた言動にくみすることもない。できるわけもない。身はかりそめにここにありながら、すでにして魂塊はなつかしい死者たちと交わっている世外人なのだから。ヘたに手をだせば陸に上がった河童の二の舞を演じかねない。」(254―255頁)
「岡本綺堂は大陸的な作家である。というのは、この人の語るいかなる挿話も、王朝の交替を背景にしないで語られることはない、というほどの意味である。」(256頁)

○加太こうじ「岡本綺堂の『半七捕物帳』をほめる」思想の科学7号12頁(1962)

「このような自然主義的な描写であるが、この淡たんとした語りくちは、今日の東京を知るものに実によく百年の年月を感じさせる。」(14頁)

「それから、綺堂の小説及び戯曲には人間の死ぬところが実に多く見られる。それは綺堂一流の淡たんたる描写だが、そのためにかえって一種の虚無感を味あわされる。」(16頁)

chuko_mokuji.jpg    「相馬の金さん」初出誌の『中央公論』1927年8月号の目次より
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