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綺堂ディジタル・アーカイヴ



つぎは綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです. 綺堂の随筆です.なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください.


銀座の新年
      『文芸春秋』1937(昭和12)年1月1日号38―39頁
        岡本綺堂
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 老人は、兎かく昔話をしたがる。実をいへば、昔話のほかに新しい話題を持たないからである。ことしの新年初頭にむかし話をはじめる。
 私は明治二十五年から二十八年まで満三年間、正しく云へば京橋区三十間堀一丁目三番地、俗にいへば銀座の東仲通りに住んて[#「て」原文のママ]ゐたので、その当時の銀座の事ならば先づ一通りは心得てゐる。即ち今から四十余年前の銀座である。その記憶を一々ならべ立てゝもゐられないから、こゝでは歳末年始の風景その他を語ることにする。
 由来、銀座の大通りに夜店の出るのは、夏の七月、八月、冬の十二月、この三月間に限られてゐて、その以外の月には夜店を出さないのが其の当時の習しであつたから、初秋の夜風が氷屋の暖簾に訪づれる頃になると、さすがの大通りも宵から寂寥、勿論そゞろ歩きの人影は見えす、所用ある人々が足早に通り過ぎるに過ぎない。商店は電燈をつけてはゐたが、今から思へば夜と昼との相違で、名物の柳の木陰などは薄暗かつた。裏通りは殆どみな住宅で、どこの家でもランプを用ゐてゐたから、往来は一層暗かつた。
 その薄暗い銀座も十二月に入ると、急に明るくなる。大通りの東側は勿論、西側にも露店が一杯に列ぶこと、今日の歳未と同様である。尾張町の角や、京橋の際には、歳の市商人の小屋も掛けられ、その他の角々にも紙鳶や羽子板などを売る店も出た。この一ケ月間は実に繁昌で、いはゆる押すな押すなの混雑である。二十日過ぎからはいよ/\混雑で、二十七八日頃からは夜の十時、十一時頃まで露店の灯が消えない。大晦日は十二時過ぎるまで賑はつてゐた。
 但しその賑ひは大晦日かぎりで、一夜明ければ元の寂寥に復る。さすがに新年早々はどこの店でも門松を立て、国旗をかけ、回礼者の往来もしげく、鉄道馬車は満員の客を乗せて走る。いかにも春の銀座らしい風景ではあるが、その銀座の歩道で、追ひ羽根をしてゐる娘達がある。小さい紙鳶をあげてゐる子供がある。それを咎める者もなく、さのみ往来の妨害にもならなかつたのを考へると、新年の混雑も今日とは全然比較にならない事がよく判るであらう。大通りでさへ其の通りであるから、裏通りや河岸通りは追ひ羽根と紙鳶の遊び場所で、そのあひだを万歳や獅子舞がしば/\通る。その当時の銀座界隈には、まだ江戸の春のおもかげが残つてゐた。
 新年の賑ひは昼間だけのことで、日が暮れると寂しくなる。露天も元日以後は一軒も出ていない。商店も早く戸を閉める。年始帰りの酔つ払ひがふら/\[#「ふら/\」に傍点]迷ひ歩いてゐる位のもので、午後七八時を過ぎると、大通りは暗い町になつて、その暗いなかに鉄道馬車の音が響くだけである。
 今日と違つて、其頃は年賀郵便などと云ふものもなく、大抵は正直に年始まはりに出歩いたのであるから、正月も十日過ぎまでは大通りに回礼者の影を絶たず、昼は毎日振はつてゐたが、日が暮れると前に云つた通りの寂寥、露店も出なければ散歩の人も出ず、寒い夜風のなかに暗い町の灯が沈んで見える。今日では郊外の新開地へ行つても、こんなに暗い寂しい新年の宵の風景は見出されまい。東京の繁華の中心といふ銀座通りが此の始末であるから、他は察すべしである。
 その頃、銀座通りの飲食店といへば、東側に松田といふ料理屋がある。それを筆頭として天ぷら屋の大新、同じく天虎、藪蕎麦、牛肉屋の吉川、鳥屋の大黒屋ぐらゐに過ぎず、西側では料理屋の千歳、そば屋の福寿庵、横町へ這入つて例の天金、西洋料理の清新軒。先づザッとこんなものであるから、今日のカフエーのやうに遊び半分に這入るといふ店は皆無で、まじめに飲むか食ふかの外はない。吉川のおますさんと云ふ娘が評判で、それが幾らか若い客を呼んだどいふ位のことで、他に色つぽい噂はなかつた。したがつて、どこの飲食店も春は多少賑はふと云ふ以外に、春らしい気分も漂つてゐなかつた。かう云ふと、甚だ荒涼寂寞たるものであるが、飲食店の姐さん達も春は小綺麗な着物に新しい襷でも掛けてゐる。それを眺めて、その当時の人々は春だと思つてゐたのである。
 その正月も過ぎ、二月も過ぎ、三月も過ぎ、大通りの柳は日ましに青くなつて、世間は四月の春になつても、銀座の町の灯は依然として生暖かい靄の底に沈んでゐるばかりで、夜はそゞろ歩きの人もない。たゞ賑はふのは毎月三回、地蔵の縁日の宵だけであるが、それとても交通不便の時代、遠方から来る人もなく、往来のまん中で犬ころが遊んでゐた。
 今日の銀座が突然ダーク・チエンジになつて、四十余年前の銀座を現出したら、銀ブラ党は定めて驚くことであらう。
 

底本:文芸春秋1937(昭和12)年1月1日号38―39頁
  のち、岡本綺堂『随筆 思ひ出草』(1937年、相模書房)に「銀座」として収録。ただし、上の文章の第1段落部分は削られている。
入力:清十郎
β版公開:08/28/2000



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