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半七捕物帳を読む

  半七考





1. 半七が食した鰻(屋)は何回(どこ)か (5/14/2004)
2. 「赤坂のお宅」とはどこか
3. 半七が振るった十手


半七が振るった十手

これは石田英一郎夫人のお題・テーマである。これを、ここでまたお題として拝借することにした。
 問.半七が振るった十手は何回か、答えなさい。

「振った十手」、「動作・仕草としての十手」、「話あるいは比喩としての十手」さらに「半七以外の者の振るった十手」として、いわば十手使用の類型を考察しておきましょう。さらに前者3類型について、十手の意味を吟味してみよう。

1.半七が振った十手

半七が振った十手のうちで、最も勇ましいのはつぎであろう。

 実践的活劇で華々しい。
「その声の終らないうちに、式部は腰にさしている一刀をそこへ投げ出して起ったかと思うと、奥の襖を蹴放すようにして逃げ込んだので、半七はすぐに追って行った。こういう徒《やから》の習い、得物《えもの》をわざと投げ出したのは、こっちに油断させる為であろうと、半七は用心しながら追ってゆくと、式部は奥の八畳の間へ逃げ込んで、そこに据えてある唐櫃《からびつ》の蓋をあけようとするところを、半七はうしろからその腕を取った。取られた腕を振り払って、式部はふところに忍ばせてある匕首《あいくち》をぬいた。用心深い半七は彼が必死の切っ先に空《くう》を突かせて、刃物を十手でたたき落した。」(『女行者』)

「ええ、静かにしろ。おれは江戸からご用で来たのだ。」と半七は云った。
眼のさきに十手を突き付けられて、友蔵もさすがに鎮まった。」
(『二人女房』)

「半七はふところから十手を出した。」(『歩兵の髪切り』)

つぎは、武士に向けられた十手、である。

「半七に十手を突き付けられた武士は梶井源五郎といって、西国の某藩士であった。去年の春から江戸へ勤番に出て来て、麻布の屋敷内に住んでいたが、……。」(『湯屋の二階』)

「ぬすびとの昼寝ということもある。そんなに重そうな財布をかかえながら、往来に寝込んでいるから調べるのだ。おれが調べるのじゃあねえ。この十手が調べるのだ」(『歩兵の髪切り』)

たぶん十手を出しているんでしょうね。「振るった十手」にカウントしておきます。解釈の余地はありますが。後で述べる「権威としての十手」に入れてもいいかも知れません。

2.「権威としての十手」もしくは「話あるいは比喩としての十手」

 (徳寿に対して)「おまえ、隠しちゃあいけねえ。こんな野暮なことを云いたくねえが、おれは実はふところに十手を持っているんだ」(『春の雪解け』)
「やい、寅。てめえのような半端《はんぱ》人足を相手にして、泥沫《はね》をあげるのもいやだと思って、お慈悲をかけてやりゃあ際限がねえ。おれは立派に御用の十手を持っているが、てめえを縛ってから後で見せてやる。さあ、素直に来い」(『春の雪解け』2回目)

 刃物を取り出した相手と争いになるし、かつ半七は後ろから女によって目隠しまでされるが……。それでも十手は取り出してはいない模様だ。

「口惜しいからどうした。ええ、隠すな。正直にいえ。おらあ十手を持っているんだぞ。てめえは口惜しまぎれに、兄貴になんか頼んだろう。さあ、白状しろ」(『半鐘の怪』)

 むろんこの場合の十手は取り締まりの道具であると同時に、幕府の権威や威光を背景にしていますね。現在の警察手帳、西部劇の保安官バッヂ(例の星型)みたいなもんでしょうか。

 つぎは、その系列で、任意同行を求めるといった案配でしょうか。

「「朝っぱらからお邪魔をします」と、七兵衛は上がり框に腰をかけた。「勘次さんというのはお前だね。話は早えがいい。おれは葺屋町の七兵衛と云って、十手をあずかっている者だが、すこしお前に訊きてえことがある」(『槍突き』)

 むろん当時、刑事訴訟法なんていう適正手続の公開や人権保障という考え方もなかったろうから、過酷な取り調べ、や重い処置が連想される。それでなくても、小心な市井の人々は、十手持ちや自身番まで来いということすら、やっかいなものへの関わりを恐れる。江戸の警察機構の方に圧倒的な独占力・権力がある。

このあたりをシニカルに捉えているのが、森村誠一氏である。
「人権を尊重しない権力者(体制側)の手先である岡っ引きが、人権を尊重して合理的に犯人を割り出していくプロセスが何とも「皮肉であり、面白いのである。」(「解説」『半七捕物帳(2)』(光文社時代文庫)374頁) 推理小説は人権が保障されている近代社会において発展する土壌があるのに、それが保障されておらず、拷問がある近世法では発達しにくいと云っておられる。どのように反論しますか、半七ファン。私にはあまりに近代主義の考え方に毒されているように思えるのですが。

 河竹黙阿弥の『筆売幸兵衛』には、明治初期のポリスが出てくるのですが、その名前が良いですね。「田見尾保守(たみを やすもり)」と云って、たぶん民を安らんがため治める、の意ですね。実に正義としての十手、いいやポリスや警察・治安機構への願いがある(ウィットが効いている)と思いませんか。

十手に権威や有無を云わせないところがあるからこそ、つぎのような「逆すごみ」?もかえって男の意気地を示す、セリフとなる。

「馬鹿をいえ。今度伝馬町《てんまちょう》へ行けば仕舞い湯だ。てめえ達のような下っ引にあげられて堪まるものか。もち竿で孔雀を差そうとすると、ちっとばかり的《あて》がちがうぞ。おれを縛りたけりゃあ立派に十手と捕り縄を持って来い」(『春の雪解』)

 芝居だと「○○ヤ−−ッ!」と掛け声でも来そうな、江戸っ子の意気地だねェ!劇作家岡本綺堂ならではの筆ですね。

3.動作・仕草としての十手

「幸いに強い雨ではなかったが、きょうもしとしと降りつづいている。先度《せんど》の小金井行きとは違って、三人は雨支度の旅すがたで、菅笠、道中合羽、脚絆、草鞋に身を固め、半七はふところに十手を忍ばせていた。」(『二人女房』)

「くどいな。早く出ろ、早く立て」と、半七もふところの十手を探った。」(『女行者』)

「それにも及ぶめえ。多寡が一人だ。何とかなるだろう」と、半七はふところの十手を探った。」(『湯屋の二階』)

4.半七以外の者の振るった十手

『張子の虎』では、当然に同心が十手を振るう。

「一人は倒れる。ひとりは流れる血潮が眼にしみて働けない。今度は自分が手をくだす番になって、藤四郎はふところの十手の服紗《ふくさ》を払った。御用と叫んで打ち込んで来る十手の下をくぐって、松蔵は店を駈け出した。……」

同じく、両人……。
「両側の店屋では皆あれあれと立ち騒いでいたが、一方の相手が朝日にひかる刃物を真向《まっこう》にかざしているので、迂闊《うかつ》に近寄ることも出来なかった。短刀と十手がたがいに空《くう》を打って、二、三度入れ違ったときに、藤四郎の雪駄《せった》は店先の打ち水にすべって、踏みこらえる間《ひま》もなしに小膝を突いた。」

半七の義父である、吉五郎親分が主人公である『白蝶怪』には、都合4回ほど十手の場面が登場するが、そのうちでも最も派手な場面では……。

「留吉に注意しながら、吉五郎はふところから十手を出すと、留吉も十手を取って身構えした。覆面の男は無言で斬ってかかった。それが侍であると覚ったので、ふたりも油断は出来ない。」

吉五郎親分に附いているのは、半七ではありませんね。

5.補でホッ

無粋な話ばかり続きそうなので、十手には触れたくはなかったのですけれど、でも半七親分の商売道具だから避けては通れなかったですね。そこで、気分を変えた十手の話。

「そりゃあちっとも知らなかった。十手に対しても申し訳がねえ」と、半七はすこし驚かされた。「なにしろ変なものが飛び込んだものだね。子供のような真っ黒なものかえ」(『お照の父』2)

 半七親分のこの心情。この謙虚な忠誠心がないといけませんね、現代の警察も。報償費とか経費のつまみ食いは、鼠賊に似たり。嘘つきは泥棒の始まりとか……。トップの警察庁が部下にお触れを出しているのに、各警察署では、会計書類が処分されていただと。家宅捜索された企業や官庁が、証拠書類を紛失した、焼却したというのと同じじゃありませんか。忠誠心は、警察権力やそのトップや出世欲に対してじゃありませんよ。この点で孤軍奮闘の宮城県知事・浅野史郎氏に拍手を送りたいですね。ポリスは民を安んずが本来のはず。半七ほどの律儀さ、正義が欲しいですね。つい、リキが入って……、つぎへ行きませふ。

つぎは、ちょっと弱気な半七親分の吐露というべきでしょうか。

「そうだ、お十夜だ。十手とお縄をあずかっている商売でも、年をとると後生気《ごしょうぎ》が出る。お宗旨じゃあねえが、今夜は浅草へでも御参詣に行こうかな」(『槍突き』)

さらには、十手を取り出した失敗談。
「今考えると実にばかばかしい話で、それからその武士のあがって来るのを待っていて、熊蔵がそれとなくいろいろのことを訊くと、どうもその返事が曖昧《あいまい》で、なにか物を隠しているらしく見えるんです。わたくしも傍から口を出してだんだん探ってみたんですが、どうも腑に落ちないことが多いんです。こっちももう焦《じ》れて来たので、とうとう十手を出しましたよ。いや、大しくじりで……。はははは。なんでも焦《あせ》っちゃいけませんね。そうすると、その武士も切羽詰まったとみえて、ようよう本音を吐いたんですが、やっぱりお吉の云った通り、その二人の武士は仇討でしたよ」(『湯屋の二階』2、これはすでにカウント済み)

これらの面があるから、岡っ引き・半七を人間らしくさせているのかも知れません。民から離れていないのですね。

つぎは、なるほど、作者の綺堂先生のオチです。

「河童……。ああ、なるほど。あなたはどうも覚えがいい。あれはもう去年のことでしたろう。しかも去年の桜どき――とんだ保名《やすな》の物狂いですね。なにしろ、そう強情《ごうじょう》におぼえていられちゃあ、とてもかなわない。こうなれば、はい、はい、申し上げます、申し上げます。これじゃあどうも、あなたの方が十手を持っているようですね。はははははは。いや、冗談はおいて話しましょう。」(『お照の父』1(老人と青年記者))

やはり、十手がらみで、もっともカラフル(艶)な印象で、ユーモアあふれるのは、つぎのセリフでしょう。綺堂さんの筆が冴えます。兄半七とのやり取りで……。

「ほほ、随分なことを云う。なんぼあたしだって、撥《ばち》の代りに十手を持っちゃあ、あんまり色消しじゃありませんか」(『筆屋の娘』)

 妹のお粂の会話である。どなたか、常磐津師匠のこの半七の妹を主人公にして、捕物帳を書きませんか?12話くらいでいいのですが。結構ワイズなのですよ、彼女。それで、個人的には、ファンということではありませぬが、高島礼子さんあたりで、TV映像化して……。お粂さんには、旦那もしくは夫はいたのでしたか?

疑問、十手は懐(ふところ)に入れていたというのが多いのですが、入るものなのか?新聞紙を入れているようなもので嵩張ってしょうがないと思いますが、どうやって?懐では、もう腰には差せませんけれどもね。

上記「問」の答:
 半七が十手を振るったのは、5回と思われる。ただし、見落としがあるのを恐れます。
                               2004/06/14記

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