logoyomu.jpg

半七捕物帳を読む

  半七考




半七考 その11 捕物帳の恋(こひ)






               「金次がそんなに恋しいか」

                           『石燈籠』




 古今東西、恋がらみの犯罪や恋愛がその原因・遠因となったものは多い。ご多分に漏れず、恋の文字は、半七捕物帳においても、さかんに用いられている。
 半七シリーズのうちで、もっとも印象に残る恋のストーリーは何ですか?また、もっとも淡く、あるいは切ないのは、さらには邪悪な恋はどれでしょうか?そこで、半七捕物帳を素材として、江戸幕末当時の男と女の関係の一端を見ておきたい。

1.恋、消えた恋

 時代物(小説)を読む場合、つぎの点は常識となっているかとも思う。第一に、恋や恋愛というものが、男女にあって当然であるとする現代の見方は、比較的近代のものである。第二に、恋愛が男女の結婚を決定する、もしくは、主要な要因となるとする、(自由)恋愛結婚の考え方は、わが国でもごく最近のものである。そうではなかった時代の方がおそらく時間的には長かったろうと思われる。この点では両者は意外に近いと感じました。

・淡き恋

 武家物の、若い恋の話は、制度として当人同志の自由にならないがゆえに、切ない色を醸し出しますね。個人的にはこの辺りの話も好きです。山本周五郎作品−をすべて読んだわけでもないし、また昔に読んだので把握しているとは限らないのですが−のうち最近読み直したものでは『艶書』(新潮文庫)の同名の小説とか、藤沢周平さんのものとかにも、たくさんありますね。

「この恋物語に半七は耳をかたむけた。」(『勘平の死』)

 半七も恋女房(と推測される)である、お仙との恋を経験しているはずなので、男女の機微には敏感で、詳しくもあったろう。彼が仕えた吉五郎親分の娘と成就した恋であった。(「半七考10 半七ファミリー」の項参照)

 いくら淡くたって、13歳では江戸期でも、ちと早すぎるようだ。

 「まだ十三の小娘で、まさかに色恋の文(ふみ)ではあるまいと思うものの、彼女が強情に隠しているだけに、小左衛門は一種の疑惑と不安を感じて、どうしてもその手紙をみせなければ、今日はいつまでも止めて置くぞと嚇(おど)しつけると、お直はわっと声をたてて泣き出した。その声が奥まできこえて、御新造のお貞も出て来た。……」(『半七先生』)

・二股の恋

 私の学生時代の友人は、はやり二股の恋に悩んでいるという、実にうらやましい相談話を僕たちに聞かせた。自慢話のような、あるいは女のまぬけ話のような……ものだったが、いずれにせよ結論は出なかった。一人を複数の者が好きになるという不条理が世の中にはあることを知ったが、それは私の身の上ではないことも悟った。

「万事が半七の鑑定通りであった。重吉はおかんと夫婦約束をしていながら、さらに尾張屋のお朝とも親しくなった。それを知って、おかんは火のように怒って、恋のかたきのお朝を殺してしまうとまで狂い立つのを、重吉はひそかに宥《なだ》めているうちに、お朝はいつか妊娠したらしいので、重吉はいよいよ困った。その秘密をまた知って、おかんは嫉妬の焔(ほむら)をいよいよ燃(も)した。世間しらずのお朝は、いたずらの罰が忽ち下されたのに驚いて、自分のからだの始末を泣いて重吉に相談した。おかんもかげへまわって男の薄情をはげしく責め立てた。」(『雷獣と蛇』)

だろうよ!
1:2がうまく運んで継続すれば、誰も不幸にはならないわけだから問題はない。それが崩れるとき、一方は敗者にならなければならない。彼・彼女は、嫉妬である、怒りである、刃傷沙汰である。

2.手鎖の恋

 そういえば、半七シリーズの第1作品である『お文の魂』も、下谷の寺の住職が、訪ねてきた若い武家の、美しい奥方に懸想して、邪恋な道に走り、無知な若い女房を精神的に脅して我がものにしようと企んだのが事件の発端でもありました。この住職は、その後(別件で)「女犯の罪で寺社方の手に捕らわれた」という破戒僧でした。

 恋愛を犯罪の直接の衝動とした作品あるか?
代表的にはつぎの作品ということになりますか……。
 その前に。小さい頃、火鉢の五徳に網を掛け、餅を焼いていた。炭を掻き寄せたり、継ぎ足したりしながら、黒い固まりの炭に火がしだいに勢いを増して赤くなり、キンキンという金属的な音すらするようになる、燃えさかるのを待っていた。赤い色を下に、上にはやや青みを帯びた妖しげな炎。やがて盛りを過ぎた炭火は白く、ちり紙のようにふわふわになり、音を立ててくずれた。あの感じが蘇ってくるような「頽」れるという漢字、はじめて知った。つぎの感情表現には、まさしく打って付けの字ですね。

「お冬の胸に燃えていた恋の火は、灰となってもう頽(くず)れてしまったのかも知れない。彼女は過去の楽しい恋の記憶については、何も話そうとしなかった。しかし惨(みじ)めな彼女の現在については、不十分ながらも半七の問いに対してきれぎれに答えた。旦那やおかみさんは自分に同情して、勿体ないほど優しくいたわってくださると彼女は語った。店の人達のうちでは和吉が一番親切で、けさから店の隙を見てもう二度も見舞に来てくれたと語った。」(『勘平の死』)

・恋の熱い炎は、やがて冷たい鋭い刃となり、恋敵である若旦那を殺すことになった。

「ねえ。今も云う通りのわけで、わたしは若旦那を殺した。それもみんなお前が恋しいからだ。わたしは一度も口に出したことはなかったが、とうからお前に惚《ほ》れていたんだ。どうしてもお前と夫婦になりたいと思い詰めていたんだ。そのうちにお前は若旦那と……。そうして、近いうちに表向き嫁になると……。わたしの心持はどんなだったろう。お冬どん、察しておくれ。……」(『勘平の死』)

かりに作者岡本綺堂氏が40歳半ば−50歳くらいだとして、かような作品を書くときにやはり自分の過去とか知己のうわさ話とかを懐古しながら、若かった当時の感情のひだといったものをなぞるように書くのだろうか?

・女師匠と経師職の悲しい恋

「半七が想像した通り、若い師匠と若い経師職とのあいだには、こうした悲しい恋物語が潜んでいたのであった。彼の懺悔に偽りのないことは、若い男の眼から意気地なく流れる涙の色を見てもうなずかれた。」(『お化け師匠』)

・作品の中で、最も悲惨な恋は何ですか? と問われたら、何を挙げますか?

 私なら『二人女房』です。府中の六所明神あたりが舞台となっている。府中の悪(ワル)、友蔵の家に転がされていたのは、江戸・和泉屋の後妻の女房お大であった。手代の男と密通し、出奔するも、やはり相手の手代に騙されてしまった。もう一人の女房、江戸の伊豆屋の女房は36歳の大年増であるお八重は、落語家の若い男と出奔するも、騙された挙げ句の果てに身投げ自殺。いずれも女房が若い男に恋をして、これに裏切られた悲劇を描いている。シリーズの中ではかなりあくどい話が展開されている。

しかし、女はか弱いばかりではない。
「こういうやつらでも色恋の恨みは恐ろしい」
                        (『十五夜御用心』)

長崎の女郎上がりの女は、江戸へ出てきたが、男四人組を丸め込んで、自分はその(女)大将分のようになった。同郷で年の若い僧の全真をかわいがるので、他の男の恨みを買い、仲間割れをして事件が発生する。嫉妬がらみが復讐を引き起こしたといえる。これも、恋が災いをした事件といえるでしょう。平等な愛というのも難しいものですね。

・死に至る恋

「心中は綺麗な若いお武家と、若い女だ」

「 ……男は十七八の美しい武士で、女は二十歳(はたち)前後の、武家奉公でもしていたらしい風俗である。二人は船のなかに座を占めて、男は脇差で先ず女を刺し殺し、自分も咽喉を掻き切って死んでいた。」
(『新カチカチ山』)

心中のことですが、なぜ手鎖の所においたかというと、ご法度でしたから。心中についてはまた、別に取り上げる機会もありましょう。

3.従順な恋もしくは定められた恋

 とくに武家社会では家父長制であるから、家庭や家族の関係や規範において男性中心主義であり、男性が家庭内の権力者である。ポスト・モダンやフェミニズムにおいては、男根中心主義とも呼ばれる。男性中心の社会システムや文化が展開することになる。また、長男は絶対的で、世襲することになる。女子は家庭はじめ社会でも劣位に置かれる。また、表向きは嫌われるという矛盾した立場に置かれる。
 家族関係や家庭内でも、愛情ではなく、支配と服従との関係と規範が支配することになった。
 市井一般や一般人が上のような関係であったかどうかは疑問であるが、多くは時の支配階級・層である武家の価値観や見方・作法などが、この他の層にも影響を何らかの形で及ぼしたことは容易に察しられよう。

・本妻と妾

 つぎの話は、本妻と妾の処遇という面でも興味深いが、後継男子がいないとお家=家系がつぶされ、その配下にある家臣団とその家族や係累の全体が亡ぶという連帯“責任”体系になっている。

 江戸時代の本妻と妾は、当時の家制度上男子を継承者とするので、後継男子確保の保険のようなもだろう。しかし、畜妾が盛んだった明治期や以降のそれは、後継男子確保のほか、主要には富や権力のがある故に、またその誇示のためになせる慣習であるような気がする。

「ここに大きい屋敷があって、本妻の奥さまとお部屋のお妾がある。奥さまも良い人で、お妾も良い人だ。これじゃあ御家騒動のおこりそうな筈がねえ。ところが、ここに一つ困ったことは、その奥さまの腹に生まれた嫡子の若殿さまというのが素晴らしい美男だ。どこでもいい男には女難がある。奥さまにお付きの女中がその若殿さまに惚れてしまった。昔から云う通り、恋に上下の隔てはねえ。女は夢中になって若殿さまにこすり付いて、とうとう出来合ってしまったという訳だ。……まかり間違えば御家騒動でも起こしそうな代物(しろもの)だ。」

(『新カチカチ山』)

・家柄と恋 仮親

 身分制社会だから、身分を越える恋は成就しないのが原則、一般である。しかし、それを回避する便法・知恵もあったのである。仮親、現在でもそうのようなことはあるのだろうか。

「千之丞はかねて千倉屋の娘に懸想(けそう)していて、町人とはいえ相当の家柄の娘であるから、仮親(かりおや)を作って自分の嫁に貰いたいというようなことを人伝(ひとづ)てに申し込んで来たが、娘も親も気がすすまないので先ずその儘になっていた。」(『旅絵師』)

4.時代の恋

・幕末の恋  船乗りジョージ

 半七が活躍した幕末の時期や世相を窺わせるのは、異人との恋であろう。

「しかしジョージは軍艦の乗組員ですから、勝手に上陸することは出来ません。結局お糸が恋しさに上陸してしまいました。わたくしは其の当時のことをよく知りませんが、恐らく脱艦したのだろうと思います。……お此が手引きをして、ひと先ずジョージを大森在の九兵衛という百姓の家へ忍ばせて置きました。」(『妖狐伝』)

・明治の恋愛小説ブーム

 半七老人も、枯れてくると、さすがに若い頃とは違って、もう明治の恋愛小説ブームにはついてゆけなかったようだ。

「わたくしは妙な人間で、江戸時代の若いときから寄席の落語や人情話よりも講釈の修羅場の方がおもしろいという質(たち)で、商売柄にも似合わないとみんなに笑われたもんですよ。それですから、明治の此の頃流行の恋愛小説なんていうものは、何分わたくし共のお歯に合わないので、なるべく歴史小説をさがして読むことにしています。渋柿園先生の書き方はなかなかむずかしいんですが」(『正雪の絵馬』)

半七老人は、塚原渋柿園の歴史小説が好みだったという次第で、東京日々新聞を愛読していたようだ。それで、この「恋愛小説」というのは誰の、どの作品辺りを指すのでしょうか?明治30年代ですから、硯友社かそれ以後というのでしょうけれども?疑問として残しておきます。また、残念ながら、半七老人は、明治40年夏6月に本郷座で一と月以上も公演を打ち続け、江湖の人気を集めた桃中軒雲右衛門の浪曲は聴かなかった。赤垣源三や南部坂雪の別れ、などは知らなかったのである。あるいは、漱石のように雲右衛門が好きではなかったかも知れない。

まとめ

 テーマが良いだけに、もうちょっと艶っぽく、ロマンティックに展開したかったのですが、私のらぶ経験不足、また筆下手もありましてかくのごとき有様に……。
 婚姻観やその規範という面に焦点を当てたかったのですが、うまくいったでしょうか。女や男の当事者たちは、恋によって幸福になったか?そうでないとすれば、何がそれを阻んだか?
 あるいは、当時の社会は、やはり生きていく上で、結婚 > 独身 (=独身のままより結婚した方が幸せ)と誰もが、また男も女も考えただろうか。女性が独立して生計を立てて生きてゆく職業が提供されないならば、結婚も一つの就職口である。結婚が最上の形態であると考えられたか、その反対に独身は不自然であると誰もが思っただろうか。読み込めないこともないかもしれないが、綺堂の半七ものには、やはり作品の性格上、この点には沈黙したままである。
 おわりに、半七シリーズには、幕末や時代の動きというべき恋のストーリも描かれていた。

                  2005/01/31 記 



半七考 もくじ に戻る
「八百屋お七(古今名婦伝のうち)」
豊国・画、柳亭種彦・文(慶応2年)
(国立国会図書館蔵、一部)

“登れよ火見櫓(やぐら)、
打てよ半鐘(かね)、届けよ恋”



綺堂事物ホームへ

(c) 2005 All Rights Reserved. Waifu Seijyuro
inserted by FC2 system