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半七捕物帳を読む

  半七考




半七考 第2集

     もくじ

      1.「足音を盗む」表現 (12/21/2005)
      2.半七が聞いた鐘の音から午後のドーンまで(3/6/2006)
      3.湯屋の二階
      4.渋柿園先生のお宅
      .冬の蝶(7/14/2007)

      (以下、続く予定)


      半七考 第1集もくじ




5.冬の蝶

「誰かの魂が蝶々になって、墓の中から抜け出して来るんじゃないかね」と、---は云った。 (『白蝶怪』より)

あでやかさの中に、なにやら怪しげさえ、ただやふ。
久しく、夜の蝶にも、会わず暮らせる日々の長きぞ、悲しき・・・。(筆者嘆息)

捕物帳の蝶という道具

蝶ものの作品といえば、題名にもあるように『蝶合戦』『白蝶怪』ですね。

『河豚太鼓』には、風車や蝶々売りの男が登場します。また、『帯取の池』には、鬼子母神社の境内で、紙細工の蝶の翅(はね)がひらひらと白くもつれ合っているのをみて、「のどかな春」を描き出しています。

とくに後者は、寄席などでの演芸に、小さく切った紙などを蝶に見立てて、扇などで仰いで、蝶が飛んでいるように見せる芸を連想させます。『蝶合戦』も『白蝶怪』も、そんなことを作品に仕立て上げたのだろうかとも思っていました。

蝶というリアリィティ

現代では、オオカバマダラ(英名:Monarch Butterfly)が、カリフォルニアでの、北上する渡りの大群の映像を見たことがあります。これは自然の不思議ですが、現実のものです。作品に描かれたのも、あんなものなのだろうか、しかし実際にある(った)のか、など、探偵もののからくりとしてはいかがだろうかと、その現実性ゆえに懐疑的に見ていました。

しかし、江戸の人々は、素直というか、迷信深いですね。その辺の心理を利用して、犯罪やそれ絡みのものが事件として起こることを、作者綺堂はうまく描いているといえるのでしょう。



しかし、興味深い新聞記事を偶然に見つけました。
都(みやこ)新聞、明治38年8月16日

「昨日の午前五時頃より六時にかゝりて、何処よりか飛び来りしが、幾十万とも数えきれぬの桜色の小さき白蝶ありて、千住五丁目の奥羽街道の取付より、馬車会社附近北千住全部中組掃部宿大橋を経て、南千住の位置へ舞い拡がり、何れも地上より三尺ばかりの上へは飛ばず宛がら桜の花の散りし風情にて、中にも北千住二丁目三丁目の辺は路行く人の腰から下は、雪が降りかゝつたやうになり、何れも奇異の思ひをなし居たるが、旋て何方へか飛び去りしとぞ。」

時期は8月の旧盆の頃ですが、実際に自然の現象が起こっていたようですね。しかも、明治38年なので、後に半七作品を書くときの材料となったのかもしれません。

あるいはすでに江戸期にそういった現象があったことが、綺堂が参考にしたといわれている、斎藤月琴の「武江年表」にも記載されているのかもしれないですね。1796(寛政8) 5月下旬の項に、深夜に蝶が飛んで、人を刺し、刺されると大病を得ると「武江年表」にはあるそうですが、未確認です。冬の時期ではないこと、群舞していたかどうかも不明ですが、このあたりから、ストーリーに仕立て上げたのが、綺堂さんの才能なのでしょうか。

■ 07/2007 記

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