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綺堂ディジタル・アーカイヴ





つぎは綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです. 綺堂の演劇批評を読む機会はあまりありませんので公開する次第です.なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください.



市村座覗き ―〈劇評〉― 『演芸画報』大正5年5月

        岡本綺堂

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 紙数に制限がありますから詳しいことは書けません。それは最初《はじめ》にお断り申して置きます。
 市村座は三月興行を一度抜いたのと、時蔵の改名披露とで、大分景気が好かつたやうでした。その見物は例に依て婦人連が多かつたやうでした。
 一番目は『伊賀越《いがごえ》』で、五段目と六段目とを見せてゐましたが、前の饅頭娘は私の嫌ひな劇《しばゐ》です。政右衛門《まさゑもん》が志津摩《しづま》の助太刀をする為にお谷の妹と祝言するのは拠《よんどこ》ろないとしても、その仔細を正直に打明ければ可いものを、故意《わざ》と秘し隠しにして貞実のお谷を泣かせ、老実の五右衛門《ざいゑもん》を怒らせ、他の感情を散々に弄んで置いて、自分一人が分別顔に納ってゐるなどは、所謂丸本物の短所を最も極端に露した作です、随って政右衛門をする俳優が努力すれば為るほど私の反感を強めるばかりで、どうしても面白く観てゐる訳には行きませんでした、槍伝授も余り面白いものではありません、菊五郎の誉田《ほんだ》大内記《だいないき》が甚《ひど》く写実がゝつた台詞《せりふ》廻しをしてゐるのが耳に附きました。
 後の沼津はそれに引替へて、ちと拵へ過ぎてはありますが面白いものです。私は好きな劇の一つに数へてゐます。重兵衛が茶店に休む所から、平作に荷を担《かつ》がせてぶら/″\[#ぶらぶらに傍点]歩いて行く所、いつ見ても旅の暢《のん》びりした気持になつて、昔の東海道の道中が羨ましいやうに思はれます。歌《か》六の平作惨めな中にも何処にか暢気さうな所があつて、如何にも昔は小相撲の一つも取つたといふ老爺《ぢいさん》らしく見えました。ほかの俳優の平作は兎角に惨め一方になり勝ですが、斯ういふ場合斯優《このひと》自然の愛嬌が役に立ちます。先づ当時での平作俳優《やくしや》でせう。吉右衛門の重兵衛、好くは演《し》てはゐましたが、劇の重兵兵衛でなく、本文の重兵衛でした。―浄瑠璃の本文によると、重兵衛はお米に気があるのでなく、平作を実の親と知って、何がなしに金を遣らうと思ふので、その口実にお米を女房に呉れと云ふのです。―勿論、劇の方が自然で好いのですが、吉右衛門は何うも固過ぎて色気も愛嬌も薄いやうでした。これは菊五郎の方に廻した方が可かつたでせう。手負の平作に笠を翳す所は情があって可かつたが、例『吉田で逢ふたと人の噂』が余り大時代になり過ぎました。こゝは誰でも調子を張る所ではあるが、余りイキミ過ぎて聞辛いやうでした。その他概して中位の出來。菊次郎のお米は兎かく粋になり勝の斯優の身体が丁度斯役に嵌《はま》つてゐました。一体このお米はむづかしい役で普通の娘では不可《いけ》ず、さりとて花魁《おいらん》丸出しでは此場に当嵌らず、まことに工合の悪い役ですが、斯優は先づ頃合の所を行つてゐました。御約束の『わが身の瀬川に身を投げて』にも好い形を見せてゐましたが、『東育ちの張も抜け』でほろりとさせる程には行きませんでした。
 中幕上『嫗山姥《こもちやまうば》』の八重桐は時蔵の改名披露の出し物です。併し若い人が身分不相応の大役を背負《しよ》はされて悶いてゐるのに対して、私は真正面から批評を加へるほどに残酷でありたくないと思ひますから、こゝでは単に姿と調子の好いのを褒めて置きます。男寅《をとら》の澤潟《おもがた》姫《ひめ》も美しいことでした。菊五郎の太田十郎、吉右衛門のお歌、いづれも御附合御苦労様の中にも兄さんのお歌は八重桐引立の爲に大骨折でした。この幕で第一の出来は三津五郎の源七、実際こんな人だらうと思はれました。米蔵の白菊も調子が冴えて可かつたが、いかに一日一役とは云へ、立廻りが些《ち》と長過ぎました。
 中幕下『戻橋《もどりばし》』は妖怪が女に化けて来る、舞がある、口説がある、見顕しになると云ふ紋切形の順序を踏んだものですが、新脚色《かたおろし》以来廿余年の今日まで相変わらず歓迎されてゐるのは、何処にか面白い所があるのでせう。菊五郎の鬼女、吉右衛門の綱、何方《どつち》も可し。理窟を云ふべき狂言ではなく、たゞ観てゐて心持が好ければ可いのですから、私も見物と一所になつて、『引きつ引かれつ澤水に』のあたりを拍手喝采しました。今の人が斯ういふものを書かうとすると、単にこれだけでは気が済まない、何か其処に理窟を故事附けやうとするから、自然面白くないものが出來上る。どうしても斯ういふものは昔の作者に限るやうです。
 二番目『時鳥雨夜《ほととぎすあまよ》の蓑笠《みのがさ》』は黙阿彌《もくあみ》翁の原作を其水《きすゐ》氏が増補したものとか聞きました。いつか歌舞伎座でも出たやうでしたが、私は生憎見ませんでしたから、今度が初見参《うひけんざん》の世話狂言です。全体の筋立は矢はり同じ原作者の縮屋《ちぢみや》新助《しんすけ》に似通つたものですが、菊五郎の但馬屋《たじまや》清七がお旅の清次と二つ替る所を一つの山にしてゐるやうです。成ほど石置場で清七と清次の早替りは鮮やかなものでした。殊に此の石置場で清七が菊次郎の美代吉を口説く所は、筋も好し俳優も可し、面白いことでした。美代吉に一旦断られながら金が要《い》るといふ話を聞いて又もや金の方から其話を持掛けるあたりは取分けて面白かつた。併し外題の方から見ると火の番小屋が一番の見せ場らしく、こゝで時鳥雨夜の蓑笠の題意を説明してゐるのです。
 材木堀に沿ふた火の番子屋、こゝに清次が隠れてゐて美代吉が忍んで逢ひに来る。火の番の老爺が拍子木を打ちながら家の周囲を警戒してゐる。こゝらは江戸時代の作者の最も得意とする場面でせう。併しチヨボを使つてゐる割にはあつさりしてゐて、斯種の狂言としては些と腹堪えのない方でした。恐く原作が大分刈込まれてゐるのでせう。随つて松助の藤兵衛《とうべえ》も旧冬の因果物師ほどには演所《しどころ》がありませんでした。清次が美代吉と別れて出る、藤兵衛が蓑と笠とを出す、空には時鳥が啼く。余ほどしんみりし[#「しんみり」に傍点]さうな段取でしたが、どうも既《も》う一息といふ感じがありました。
 併し芸の上から云へば松助《まつすけ》の藤兵衛は云ふまでもなく、菊次郎の美代吉も既《も》う少しきつぱり[#「きつぱり」に傍点]して欲いと思ふ点もあつたが全体に於て好い出來でありました。菊五郎の二役は無論清七の方に重きを置いて書かれてあるだけに、矢はり此の方が目立つて見えました。清次の方は武家出といふ筋とは云へ、何だか若輩に見えたやうでした。尤も毎度こんなやうな役ばかり続くので、当人も困ることでせう。以前と違つて、今日では殆ど毎月興行ですから、余ほど出し物を考へなければなりません。彦三郎の荷持作蔵は突つ込んで遣れる役ですから、誰が演ても相当に受けるのでせうがこの優《ひと》も真剣で好く出來ました。勘彌《かんや》の飾磨《しかま》丈左衛門《ぢやうざゑもん》、東蔵《とうざう》の仲間《ちうげん》段平《だんぺい》、今度は二人ともに一向に冴えた役が無くて気の毒でした。
                             (「演芸画報」大五・五)
 



なお、振りかな(ルビ)は《》で示す

入力:清十郎
β版公開:08/28/2000



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