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綺堂ディジタル・コレクション




つぎは、綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです。
 「探偵夜話」の第3話。残念ながら後掲の底本にも初出誌のデーターがない。どなたかご存知の方はお教えいただけるとありがたいです。要調査、乞う。
 綺堂の実姉が嫁いでいた、福島県須賀川あたりが舞台のようなお話。
 なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。




◆ 医師(いし)の家(いえ)  ――『探偵夜話』より

             岡 本 綺 堂
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 T君は語る。

 「おばん。」  低い木戸をあけて、くつぬぎから声をかけた人があった。おばんというのはここらで「今晩は」という挨拶であることを私も知っていた。福島県のある古い町に住んでいる姉をたずねて、わたしは一昨日からそこに滞在していたが、別に見物するような所もない寂しい町で、町の入口に停車場をもちながらも近年だんだんに衰微の姿を見せているらしく、雪に閉じられた東北の暗い町は春が来てもやはり薄暗く沈んでいた。四月といっても朝夕はまだ肌寒いのに、けさは細かい雨が一日しとしとと降り暮らして、影のうすい電灯がぼんやりとともる頃になっても、檐(のき)の雨だれの音はまだ止まない。わたしは炉の前で姉夫婦と東京の話などをしていると、突然に外からおばんの声を聞いたのであった。「おはいんなさい。」と、姉は返事をしながら入口の障子をあけると、卅二三の薄い口ひげを生やした男が洋傘(かさ)をすぼめて立っていた。
「や、お客様ですか。」
「いいえ、構いません。東京の弟が参っているのですから。」と、姉は言った。
「倉部さん。おはいんなさい。」と、義兄も炉の前から声をかけた。
「では、ごめんなさい。」
 男は内へあがって来て、炉を取りまく一人となった。義兄の紹介で、彼がこの町の警察署に長く勤めている巡査であることを私は知った。今夜は非番で遊びに来たのである。彼は東京から来たという私に対しては、おばん式の土地託りを聞かせなかった。東北弁の重い口ながらも彼は淀みなしにいろいろの話を仕掛けて、一時間ほども炉のまわりを賑わした。わたしが土産に持って行った東京の菓子を彼はよろこんで食った。
「御職掌ですからいろいろ面白いこともありましょうね。」と、わたしは彼に訊いた。「探偵小説の材料になりそうな事件が……。」
「さあ。」と、彼はほほえんだ。「中央と違って、地方には余りおもしろい事件もありません。稀には重罪犯人も出ますけれども、何分にも土地が狭いもんですから、すぐに発覚してしまいます。犯罪の事情も割合に単純なのが多いようです。したがって、あなた方の材料になるような珍らしい事件はめったにありません。」
 それでも私にせがまれて、倉部巡査は自分の手をくだした奇怪な探偵物語を二つばかり話してくれた。その一つはこうであった。
 今から九年ほど前の出来事である。その頃、倉部巡査はこの町に近いある村の駐在所に奉職していたがちょうど今夜のような細かい雨がしとしとと降る宵であった。河童(かつぱ)のような一人の少年が竹の子笠をかぶって、短い着物のすをそ高くからげて、跣足(はだし)でびしゃびしゃと歩きながら駐在所の前を通った。
「おい、与助じゃないか。どこへ行く。」と、倉部巡査は声をかけると、少年は急に立ち停まって、手に持っている硝子の罎(びん)を振ってみせた。
「酒を買いに行くのか。」
「うむ。」と、与助はうなずいた。
「なぜ女中を買いにやらないのだ。」
与助は黙ってにやにや笑っていた。
「どうだ、お父(とつ)さんは相変わらず可愛がってくれるか。」
与助はやはり笑いながらうなずいていた。
「まあ、気をつけて行って来るがいい。滑ってころぶと壜をこわすしていまうから、よく気をつけて行くんだぞ。いいか。路が暗いからすべるなよ。」と、倉部巡査は噛んでふくめるように言い聞かせると、与助は黙って又うなずいて、暗い雨のなかへ消えるようにその小さな姿を隠してしまった。
 与助は村の医師の独り息子で、ことし十六の筈であるが、打見(うちみ)はようよう十一二くらいにしか見えない、ほとんど不具(かたわ)に近い発育不全の少年であった。耳は多少きこえるらしいが、口は自由にまわらない。ただ時々に野獣のような牙(きば)をむき出して、「ああ。」とか「うむ。」とか奇怪な叫び声をあげるに過ぎなかった。しかし容貌(きりよう)は醜くない。かれは死んだ母に似て、細く優しげな眼と紅いくちびるとを持っていた。
 かれが幼いときの経歴は倉部巡査も直接には知らない。しかし村の者の伝えるところによると、不具の少年の過去はいたましい暗い影に掩われていた。かれの父の相原健吉はもう五十近い人品の好い男で、近所の或る藩の士族の子息だというので土地の者にも尊敬されているばかりか、ここらの村医としては比較的にすぐれた技倆を持っているので、近村の者にも相当の信用をうけて、わざわざ遠方から彼の診察を乞いに来るものもあった。もちろん、村の医師であるから、玄関が繁昌する割合に大きな収入(みいり)もなかったが、死んだ妻がなかなか経済家であった為に遠い以前から相当の財産を作って、商売の傍らには小金を貸しているという噂もあった。それは別に彼の信用を傷つけるほどの問題でもなかったが、その以外にかれの過去に暗い影を残したのは、その妻が横死を遂げたことであった。
 なんでも独り息子の与助が二歳の秋の出来事であったと伝えられている。相原医師の妻は与助を背負って、近所の山川へ投身した。妻は死んだが、幼い子は救われた。しかしその時に彼のからだにどんな影響をあたえたのか、与助はその後一種の白痴に近い低能児になってしまって、学齢に達しても小学校へ通うことも出来なくなった。相原の妻の死については、その当時いろいろの臆説を伝えられたが、結局はヒステリーということに帰着して、その噂は月日の経つに連れて諸人の記憶からだんだんに薄らいでしまった。相原の妻の横死は、夫が他に情婦を作った為だという噂もあったが、その後十四年の長い間、相原は白痴の与助と雇婆とたった三人のさびしい生活をつづけているのを見ると、それは一種の想像説に過ぎないらしかった。不具の子ほど可愛いとかいうが、相原は白痴に近い与助を非常に愛していた。与助も父をしたっていた。今夜は雇婆が風邪をひいて寝ているので、かれは父の寝酒を買うために町まで暗い夜路を走って行ったのであることを、倉部巡査は後に知った。
 しかし彼は普通の小買物をするくらいの使いあるきには差し支えなかった。町の人達もみな彼の顔を知っているので、彼の突きならべた銀貨や銅貨の数から算当して、それに相当の品物を渡してよこすのを例としていた。彼はむしろ喜んで父の使いに駈けあるいていた。低能児ながらも親思いであるということが、倉部巡査には取り分けていじらしくも思われて、彼が駐在所の前を通るたびにきっと声をかけて、かれの話し相手になってやった。かれは倉部巡査にもなついていた。
「これで相原医師の身の上も、低能児の与助のことも、まずひと通りはお判りになりましたろう。」と、倉部巡査は言った。「さて、これからがお話です。」
 与助は町まで酒を買いに行って、帰り途にも駐在所の前を通りましたが、今度はいよいよ笠を深くして、一散にかけ抜けて行ってしまいました。もっとも、その頃には雨がだんだん強くなって来たので、与助もさすがに急いで帰る気になったのでしょう。まあそれだけのことで、わたくしも気にも止めずにいますと、その明くる朝、相原の家に非常の事件が出来(しゆつたい)していることを近所の者が発見したのです。主人の相原健吉と雇婆のお百とは何者にか惨殺されて、座敷のなかに枕をならべて倒れていて、与助は二つの死骸のまん中に坐って唯ぼんやりと眼をみはっているばかり。一体何がどうしたのかちっとも判りまぜん。与助をいろいろにすかして調べてみましたが、なにをいうにも口もろくろくに利かれない低能児ですから、一向に要領を得ないには困りました。しかしその現場のありさまで二人の死因だけは容易に判断することが出来ました。兇行者は庭口から縁側へあがって、それから座敷へ忍び込んで、机の前に坐っている健吉にむかって撃ってかかって、そこでしばらく格闘を試みたらしいのです。その物音を聞きつけて台所のそばの女中部屋に寝ていたお百も起きて来て、主人の加勢をして兇行者に抵抗した。その結果二人ともに数ヵ所の重傷を負って倒れたので、兇器は手斧(ちような)か鉈(なた)のようなものであるらしく思われました。
 与助はその場にいたか、いなかったか、それはよく判らないのですが、かれが少しも負傷していないのを見ると、おそらく彼が酒を買いに行った留守の間に、この兇行が演じられたのではないかと想像されるのです。かれが一散に駈けて帰ったのも、なにか虫が知らせるというようなことがあったのかも知れません。そこで第一の問題は犯罪の動機です。相原医師は近所の人達にも尊敬と信用を受けて多年この土地に門戸を張っている人ですから、他から怨恨を受けるような原因がありそうにも思われません。しかし本業の傍らに小金を貸していたといいますから、なにか金銭上のことで、他から怨恨を受けていないとも限らない。又は相当の財産のあるのを知って、物とりの目的で忍び込んだのかも知れない。いずれにしても、その犯罪の動機には金銭問題がまつわっているらしいことは、誰にも容易に想像されることです。わたくしも無論その方面に眼をつけて、相原医師から金を借りている者や、ふだん親しく出入りしている者を一々内偵しましたが、どうも取り留めた証拠も挙がりませんでした。
 会津の方から相原医師の親戚が出て来て、ともかくもこの事件の落着(らくぢやく)するまでは相原家を預かっていることになって、与助もやはり一緒に暮らしていました。殺された者の不幸はいうまでもありませんが、残された低能児の身の上も更に可哀そうです。ふだんから親思いであっただけに、毎日悲しそうな顔をしてそこらをうろうろしているのが近所の人たちの涙を誘って、あの児はこれからどうなるだろうとみんなが頻りにその噂をしていました。すると、ある日の午後です。与助は駐在所の前に来て、なにか内をのぞいているようですから、わたくしはすぐに声をかけました。
「おお、与助。なにか用か。」
 与助は黙ってわたくしの顔を眺めていましたが、やがて両足を踏ん張って両手を振りあげて、何か物を打つような姿勢をみせました。そうして急にきゝきゝきと気味の悪い声を出したのです。なんの意味だかわかりません。しかしわたくしも何がなしに笑ってうなずいて見せました。
「強いな、与助は。」
 与助は又奇怪な声をあげて笑い出しましたが、急に両手を振って大股に威張って歩いて行きました。そのうしろ姿を見送っているうちに、わたくしはふとある事が胸にうかびました。とういのは、低能児の今の挙動です。わざわざ駐在所の前まで来て、両足をふん張って何か打つような真似をして見せたのはどういう料簡だろう。あるいは与助がその犯人を知っていて、これから復讐にでも行くという意味ではあるまいか。こう思うと、わたくしも打っちゃって置かれませんから、すぐに彼のあとを見えがくれに追って行きますと、与助は自分の家へは帰らないで、町の方角へすたすた歩いて行きましたが、途中でふと振り返ってわたくしの姿を見つけると、いよいよ足を早めて殆んど逃げるように町の方へ急いで行ってしまったので、私はとうとう彼の小さい姿を見失って、そのまま駐在所へ引っ返しました。しかしどうも不安でならないので、その日の夕方相原の家の前に行って、そっと内の様子をうかがうと、そこらに与助の姿は見えませんでした。留守の人にきくと、さっき出たぎりでまだ帰らないというのです。あれから何処へ行って何をしているのか。いよいよ不安に思いながら引っ返して来ると、その晩の七時頃でした。駐在所の前を犬のように駈けて行く者がある。それがどうも与助らしいので、わたくしは再びそれを追って出ました。
 その晩は四月の末で、花の遅いここらの村ももう青葉になっていました。薄い月がぼんやりと田圃路(たんぼみち)を照らして、どこかで蛙の声がきこえます。わたくしはその薄月を頼りにして、一生懸命に与助のあとを付けて行きますと、与助は村はずれを流れている山川のふちに立って、なにか呪文でも唱えているらしく見えました。その川は与助の母が彼を背負って十四年前に沈んだという所です。与助はやがてそこを立ち去って今度は隣り村の方へ駈けて行くらしいので、わたくしも又つづいて追って行きますと、与助は大きい榎の立っている百姓家の門(かど)に忍び寄って、杉の生け垣のくずれから家をのぞいているようでしたが、やがてその生け垣を押し破って忍び込もうとするらしいので、わたくしは不意にうしろからその肩をつかんで引き戻しました。彼もさすがにびっくりしたらしいのですが、それでも私であることを覚って安心したらしく、自分の腰にさしている古い短刀を出して自慢そうに私に見せました。
「そんなものをどこから持ち出して来た。」と、わたくしはぎょっとして訊きました。
 与助は町の方を振り返って指さしました。町の古道具屋で買って来たらしいのです。いくら顔を見識っているといっても、こんな低能児に刃物を売るというのはけしからんと思いながら、わたくしはその短刀をぬいて見ますと、中身はよほどさびていて到底実用にはなりそうもありませんでした。それにしても刃物である以上、それをむやみに振り廻されてはやはり危険ですから、わたくしはすぐに取り上げてしまいました。
「お前はここのうちを知っているのか。」
「むむ。」と、与助はうなずいてみせました。
「ここの家へはいってどうする。」
 与助は物凄く笑っているばかりでした。わたくしはかれの腕をつかんで、五、六間手前までぐいぐいと引き摺って行って、また小声で訊きました。
「お前あの家の人を殺すつもりか。え、そうか。」
 与助はやはり黙っています。わたくしは手真似をまぜて又訊きました。
「あの家の人がおまえのお父さんを殺したのか。え、そうか。そんなら私がかたきを取ってやる。どうだ。それに相違ないか。」
「むむ。」と、与助はまたうなずきました。
「よし、そんなら今夜はおとなしく帰れ。わたしがお前の代りにきっと仇を取ってやる。さあ、来い。」
 無理に与助を引っ立てて帰って、留守の人に注意をあたえて引き渡しました。それからすぐに例の榎の立っている家について内偵しますと、それは五兵衛という六十ぐらいの百姓で、惣領のむすめは宇都宮の方に縁付いていて、長男は白河の町に奉公している。次男は町の停車場に勤めている。自宅は夫婦と末の娘と、三人暮らしで格別の不自由もないらしいが、五兵衛は博奕という道楽があるので、近所の評判はあまりよろしくない。しかしこれだけのことで、かれを直ちに相原家の兇行犯人と認めるのは証拠がなにぶんにも薄弱です。証人の与助は低能児で、詳しいことを取り調べる便宜がありません。そこでわたくしは、村の老人どもに就いて、さらに彼の素行その他を調査すると、偶然にこういう事実を発見しました。
 五兵衛には宇都宮に縁付いている惣領娘のほかに、おげんという妹娘があって、それは別に美人というほどの女でもなかったのですが、堅気(かたぎ)の百姓の家の娘としては、幾分か身綺麗にしていたそうです。もちろん身綺麗にしているだけならば別に議論もないのですが、それが二十歳(はたち)を越しても廿五を過ぎても何処へも縁付く様子もなく、ただ身綺麗にしてぶらぶら遊んでいるので、近所では当然不思議の眼をそばだてて、いろいろの蔭口を利くものもあったそうですが、さてこうという取り留めた事実もあらわれないで、おげんは相変わらず万年娘で暮らしているうちに、四年前の夏のこと、二、三日わずらったかと思うと、すぐにころりと死んでしまったそうです。わたくしはおげんが死んだ後にその駐在所に詰めるようになったのですが、おげんは評判ほどに浮気らしいみだらな女でもなかったと、今でも彼女を弁護している者もあるくらいです。
 あなた方がお考えになったらば余り軽率だと思召(おぼしめ)すかも知れませんが、わたくしはこれだけの事実を材料にして、おげんの父の五兵衛を拘引することに決めました。その翌日、わたくしが与助を連れて隣り村の榎の門をくぐった時に、五兵衛は炉の前に坐って干魚か何かをあぶっているようでしたが、わたくしが土間に立って拘引することを言い渡しますと、五兵衛は急に顔の色をかえて、はげしく抵抗でもするつもりでしたろう、そこにあった手頃の粗朶(そだ)を引っつかんで怖ろしい剣幕で起ち上がりましたが、わたくしのうしろからかの与助が小さい顔をひょいと出したのを見ると、かれは急にふるえ上がって、持っている粗朶をばたりと落としてしまいました。そして、素直に駐在所へひかれて行きました。

「お話はこれだけですよ。」と、倉部巡査は言った。「もう大抵お判りになりましたろう。」
「判りました。」と、私はうなずいた。「すると、そのおげんという女は相原医師の情婦であったんですか。」
「そうです。この女のために先(せん)の細君は身を投げるようなことになったのです。相原医師も、もちろん悪い人ではありませんから自分の罪を非常に後悔して、それがために低能児となった我が子を可愛がっていたのです。しかしおげんとの関係はその後も長く継続していて、世間の人にはちっとも気付かれないようによほど秘密に往来していたらしいのです。それでも与助や雇婆のお百はうすうす承知していたらしく、与助はともかくも、お百はおそらく口留めされていたのでしょう。そうしているうちに、おげんは死んでしまったのですが、その父の五兵衛はむかしの関係を頼ってその後も相原医師のところへ時々無心に出入りしていたそうです。おげんが死んでしまって見れば、相原医師もいつもいつも好い顔をして五兵衛の無心をきいているわけにも行きません。月日の経つに従ってだんだん冷淡になるのも自然の人情でしょう。五兵衛の方は博奕でも打つ奴ですから、その後も無頓着に無心を言いに来る。相原医師の方はだんだん冷淡になる。その結果がこの怖ろしい悲劇の動機となって、相原医師に相当の蓄財のあること知っている五兵衛は、雨のふる晩に手斧を持って相原家へ忍び込み、主人と雇婆を惨殺したのです。」
「やはり与助が酒を買いに行った留守ですか。」
「そうです。与助も無論殺してしまうつもりであったのです。主人と雇婆とを殺して、それから金のありかを探そうとするところへ、ちょうど与助が酒を買って帰って来たので、ついでに殺してしまおうかと思って手斧をふりあげると、与助が怖い眼をして睨んだそうです。それが遠いむかしに与助を負って身を投げた相原の先妻の顔にそっくりであったので、五兵衛も思わず身の毛がよだって、なんにも取らずに逃げ出してしまったそうです。」
「すると、与助は相手が五兵衛だということを知っていたんですね。」と、わたしは又訊いた。
「五兵衛は手拭で顔を深く包んでいたそうですけれど、与助はちゃんとひと目で睨んでしまったらしいのです。あの馬鹿にはきっと死んだおふくろが乗りうつったに相違ありませんと、五兵衛は警察でふるえながら白状しました。」
「与助はその後どうしました。」
「与助はそれから半年ほどの後に病死したので、相原の家は絶えてしまいました。」と、倉部巡査は顔の色を暗くした。
 外の雨はだんだんに強くなって、ぬかるみをびしゃびしゃと叩くその音が、あたかも酒を買いに行くその夜の低能児の足音かとも思われるので、私はなんだか襟もとが薄ら寒くなった。姉も黙って炉の粗朶を炙(く)べ足した。




底本:岡本綺堂読物選集第6巻 探偵編
昭和44年10月10日発行 青蛙房

※今日の人権意識からすると不適切と思われる語句や表現が見受けられますが、時代的な背景と作品の価値に鑑み、また原文の同一性を保持・尊重する立場からそのままとしました。

入力:和井府 清十郎
公開:2002年12月24日





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