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岡本綺堂の日露戦争従軍 その2



岡本綺堂の日露戦争従軍 その2

第二軍付きの従軍記者である岡本綺堂の日露戦争に関する、画像中心の補遺である。


1.第二軍首脳
奥保鞏(おく やすかた)大将・司令長官
下右:参謀長陸軍少佐落合豊三郎
下左:参謀副長陸軍中佐由比光衛
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2.第二軍上陸地点 塩大澳

絵は写真の一部。遠浅のようなので、上陸には時間が掛かったものと思われる。
田山花袋はここで上陸。岡本綺堂もおそらくここで上陸したものと思われる。
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3.遼陽西門

陥落直後の9月4日の西門
綺堂もこの門を眺めたことと思われる。
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4.遼陽西門

陥落直後とされる西門
上の写真の突き当りの通りあたりで撮ったものと思われる。綺堂もこの門あたりを舞台にした、蛇使いの少年が登場する作品を書いている。実際にはそのような少女を見かけたようだ。
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5.博文館の『日露戦争実記』の表紙

田山花袋が属した博文館の私設写真班の写真もむろん掲載され、また花袋の記事も掲載されたものと思われる。
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6.「軍神広瀬中佐」特集の博文館『日露戦争実記』の表紙

明治37年4月18日号臨時増刊第9編表紙
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7.戦地の秋山好古少将(集合写真のうち) 「海城に於いて遼陽攻撃の各縦隊長大会議(八月二十三日午前)」のタイトル、博文館『日露戦争写真画報』第9巻口絵写真のうち(臨時増刊「遼陽占領記念写真帖」、明治37年10月15日)

戦地の秋山好古の写真か、馬上のそれがないかを探していたら、右のものがあった。

明治37年8月23日の第2軍首脳の集合写真である。前列中央が奥大将、右端から2番目が秋山少将とあるので、秋山好古を指すものと思う。顔の特徴からいってもそうであろう。後年、同戦後に正装した写真は公開されているが、管見ながら、戦地のものは未だ少ないと思う。
 撮影時期から見て、遼陽総攻撃の1週間前であるので、直前の攻撃失敗を反省し、総攻撃のための作戦会議ではなかったと想像する。
 また前列左端(立ち姿)は、森林太郎(鴎外)軍医総監である。顎の輪郭が不鮮明なことからして、髭を伸ばしていると想像される。顎髭の時の写真はあまり見たことがない。さらに詳しくは、下の写真も参照願いたい。明らかに顎髭を蓄えている。
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 大きな画像
8.「戦地に於ける森鴎外君」のキャプションがある、顎髭を蓄えた森鴎外。(大きな画像)

博文館『日露戦争実記』(1904年8月)
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写真は、
日露戰役回顧寫眞帖 : 三十周年記念 / 軍人會館事業部編 東京日日新聞社(大阪毎日新聞社、1935.3)
大本営寫真班撮影版 陸地測量部藏版・日露戦争寫真帖(小川一真出版部)



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