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近代主義の犬  明治の犬・カメ物語



 ・資料との関係で、重くなるので、前後2編に分けています。なお、私事ではありますが、老犬ローラに捧げることをお許しいただきます。

前編 (9/22/2003 公開)
 1.犬と人に関する西と東
 2.幕末にもあった「カメ(洋犬)」とカメ文学
 3.描かれた明治初中期の犬

後編  (10/05/2003)
 4.犬たちの明治
 5.賢く、理性的で英雄―新聞記事の中の洋犬
 6.強い―洋犬と和犬との喧嘩
 7.洋犬と和犬にまつわる取締と飼主責任
 8.近代主義の犬


4.犬たちの明治

イギリス書記官の犬

幕府瓦解・維新の直近といえば、岡本綺堂の『探偵夜話』シリーズの「穴」には、カメとは書いていないものの、公使館の書記官所有の洋犬が登場する。

怪しげな事象や不審な者・物に動物が反応するというのはよくある。ここでもその例に漏れないが、吠えて、人に警告したのは、洋犬のようである。書記官の持ち犬とある。和犬でも、このような場合に吠えないとは限らないので、ことさら、洋犬が賢明にも、不合理なものや不審者に吠えたことを強調したものとはいえないであろう。

いやそれだけのことなら、わが和犬にもできないものではない。つぎの作品は、和犬の能力や賢明さを知る(?!)エピソードとしても読める。

岡本綺堂「影を踏まれた女」の和犬

岡本先生の、ロマンチックな筆致!。月の夜に、男女が影を並べて歩くというのは……。街路や通りは明るくなった、近時のわが国の都会では、このようなストーリーやラヴ・ロマンスは書けやしませぬ。私も好きな作品の一つ。

エニウェイ(さて)、和犬も影を見ただけで、その背後に怪しい影があることを察知して、吠えたのです。
何かか取り憑いたおせきと、幼なじみの要二郎は、月夜の道を歩いている。とすると……。

 「 二匹の犬がそこらの路地《ろじ》から駆け出して来て、恰《あたか》もおせきの影の上で狂ひまはつた。はつと思つておせきが身をよけると、犬はそれを追ふやうに駈けあるいて、かれの影を踏みながら狂つてゐる。おせきは身をふるはせて要次郎に取縋《とりすが》つた。
「おまへさん、早く追つて……」
「畜生《ちくしよう》。叱《し》つ、叱つ。」 」

岡本綺堂の洋犬と和犬との描写が出てくる場面をわざわざ引いたのは、彼には両者を差異的に、あるいは差別的に取り扱うという視点や感情はあまり出ていないということを示すためだったのです。この対比が成功しているかどうか分かりませんが、どちらの犬も本能に訴えて、それぞれ人に役立つことをしているという意味で、“賢い”犬であるといえるでしょう。

意外や意外、黙阿弥先生のカメ

河竹黙阿弥先生にも、カメが登場する。意外ではある。ところが、とてもお手柄なんだなぁ、この洋犬と、飼主で、金持ちの楠先生。
河竹黙阿弥「霜夜鐘十字の辻ウラ」(上演は、明治13年6月、新富座)

犬が証文を見つけてきたというので、

(……この時洋犬(かめ)、褒美をねだるこなしにて頻りに吠える。)
「ほんに洋犬故五百円の、」
「証書が再び戻りし上は、」
「こりや沢山に御褒美を、」
「洋犬(かめ)に遣らずば、」
「なりますまい」
「彼には牛(ぎう)が、なによりぢや」


  ―黙阿弥全集15巻610−611頁
洋犬は楠石斎という演説師のものである。それに牛を与えるというのだから、当時としてはすごかったといえよう。人間だって、まだ牛を食ったことのない人はいただろうし、牛を食うにしても穢れるとか信心深い人々がいた時代でもある。

ところで、楠家のこの洋犬は、賢くて、この前にも、家の前に近づく怪しい人影に吠えて、お役に立っている。
「ト此時門の内で洋犬(かめ)の吠える声きこゆる。丹作びつくりして、」
「丹作 えゝ気味の悪い、吠えやがるな。」


どうやら、丹作は、犬に悪い思い出があるようである。丹作が、上野の三枚橋で財布を掏(す)ったところ、病犬(やまいぬ)が飛んで来ていきなり自分の向こう脛へ喰らい付いたので、命からがら逃げて、黒砂糖を買って傷口に塗ったとある(同570頁)。
このときの犬が洋犬とは書いてないので、分からないが、おそらく和犬であったのだろう。しかも病犬とある。

小さいときの頃を思い出したが、近くの友人のうちには犬が飼ってあるが、当時の通例に漏れず、放し飼いである。門のところで犬が走りよってこないか辺りを見回して、しめしめ今日はどこかへ行っていないなと思って入ると、いきなり横からワンワン吠えながら駆け出してきて、怖い思いをしたことがたびたびある。友人ところの犬なので、遠慮しているので蹴り付ける訳にもいかず(また勝てる保証もなかったので)、むなしく家の者が出てきて、なだめてくれるのを待った経験がある。

洋犬に限らず、黙阿弥の戯曲は、生活史の点から見てもおもしろい話題がたくさん書き込まれている。「捨て鐘」って知っている?、時の鐘を突く時に、最初の3つは捨て鐘で、そのつぎから時を数えるのだそうだ。全部で13、鐘が鳴ったから、13時ではない。10時なんだって!傑作は、昔は昼時(12時)を告げるのに、午砲(どん)というのがあったのだが、鐘付き名人は、まず3つ目を鳴らして、その次の一突きが午砲と同時であったという。

さて、和犬、洋犬ともに、賢いじゃないかという話だが、洋犬の方がなんとなく合理的で、忠実っぽい感じですね。和犬の方は、当時の我が国での飼い方が、ほぼ放し飼いであり、あまり訓練もせず、飼う目的がセキュリティというか、動く錠前というか番犬なので、怪しげな奴には、犬の裁量でもって吠えかかり、噛みついてくれといういわば放任主義なので、どうも人との接触のおいては、歩や印象がよくない。

5.賢く、理性的で英雄―小説・新聞記事の中の洋犬

新聞記事に取り上げられる犬の行動というものは、よほどのことであったかと思う。評価する上では、その辺を幾分差し引かなければならない。

○東京日々新聞 明治16年2月15日
「洋犬の妙」として、物置へ火が付けられ、母屋へ燃え移るのを、洋犬が激しく吠えたり、戸口を爪で引っ掻くなどして、主人らを起こして、火事を知らせて、人命と家の財産など、その危難を救ったという話である。場所は府下南足立郡沼田村である。
日々新聞は「畜類といえどもその恩に感ずることかくのごとし」と結んでいる。
洋犬が懸命にも人、とりわけ主人らの家族を救助したという点と、畜類の報恩というところが強調された記事となっている。

○郵便報知新聞 明治16年5月1日
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洋犬が、主人の子が海に落ちたのを救助する。
洋犬(かめ)とルビまで振ってあるので、カメと呼ばれていたのは間違いないところだろう。話は変わるが、この時期、郵便報知新聞では、ルビは左側に振ってある。今日とは違うのが面白い。

さて、場所は京都だが、洋犬が普及していることを示していそうだ。飼い主は元士族で、 北海道へ汽船で移住しようとしてたところである。甲板で遊んでいるうちに、士族の長男が海へ落ちて、おぼれようとするところを、くわえて救助したというのである。
士族は、船で祝宴をあげて饗応したという。

カメの種類とか大きさとかは書いてないので、どの種類かは分からない。

○東京日々新聞 明治16年3月1日
オーストリア日本領事から犬を献上
つがいの2組、一組はデンマーク産、他はオーストリア産の犬とある。子牛ほどの大きさ(4尺=120センチ)で、力も強く、毛色はまだらで、○毛長喙(ほうもうちょうかい)とある。宮内省へ奉られた。

○朝野新聞 明治18年12月31日
京都で洋犬の飼育流行す、とある。
なぜ京都で洋犬飼育がというのはハッキリしない。ブリーダーの意味だろうか。

○毎日新聞 明治19年6月24日
3000ドルの名犬が来日
川村純義(すみよし)海軍卿当時、米国人より購入、猟犬138ドル。
徳川武昭、英国より購入、165ドル
旧工部省お雇い教師ドイツ人、本国より1200ドル
英国陸軍佐官、所有、3000ドル

ドルの値段比較となると難しいが、明治14、5年頃で、だいたい1円=1ドルの換算レートだったと思う。とても高価な犬というのがおわかりいただけよう。

○日本 明治25年8月10日
アメリカ人が名古屋で狆(ちん)20余頭を買い集めたのが、条約違反として、名古屋警察署が告発している。
どのような条約で、それが何を意味したのかは分からない。それとも、ちん条約とでも……。

このように見てくると、登場回数といい、英雄的救助行為といい、洋犬(カメ)の方が圧倒的だ。

6.強い―洋犬と和犬との喧嘩

篠田鉱造「幕末明治 女百話(上)」(岩波文庫1997.8刊。ただし底本は昭和7年刊)は、幕末明治の生活を女性の語り手から聞き書きしたものである。女性の視点や口から語られることの少ない、この頃の女性の考え方なり、生き方なりが出ていて、面白い。この辺りは、研究者にお任せするとして、洋犬である。

洋犬と和犬が喧嘩する場面が描かれていたのである(同書248頁)。この話の主は、御船手組の旧幕臣の娘である。父の加藤源太郎は、慶応4年の正月3日の鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れたため、慶喜公は船(開陽丸)で江戸へ帰ろうとした、そのときの御船手の機関の一人であった。その後、榎本武揚とともに箱館で戦い、捕虜となり、さらに静岡移封された慶喜公へ従って、三人扶持。例に漏れず、家族ともども辛酸を舐めたようだ。

 「 父が御維新後、海軍所から貰って来たカメ[#「カメ」に傍点]犬が大きくって、強いんでした、でよく近所のものが、日本犬を嗾(け)し懸けて、犬同士の喧嘩です。カメ犬は横から飛付いて、敵の耳に喰付いて離さないンですが、なかく強いんでした。父によく馴染んでいて夜遅く帰って来ても、跫音(あしおと)でムックリと起上って、迎いに出ますが、賢いものでした。」(−同書248頁)

海軍所が何のために洋犬を飼っていたかわからないのだが、この洋犬、大きくて喧嘩にも強かったとある。また、近所の者が和犬をけし掛けて、わざわざ喧嘩をさせるというのもあったようだ。ちょっとした闘犬的雰囲気なのだろうか。大きくて強いものに挑むという図式なのだろうが、けし掛けた本人や見物人の、和犬が負けた後の気分というものは、どういうものだったのだろうか。洋犬の背後には文明開化とそれを推進した新政府の威光があり、旧幕・江戸人はやはり(西洋には)叶わぬという屈折した想いが、古い傷を破いたときのように、鬱蒼と広がったであろうか。
ただ、思うに、喧嘩に常勝したらしい洋犬の持ち主の、加藤家側の心理はもっと複雑だったかもしれない。

どの種類の洋犬かはわからないが、洋犬の体格や体重が和犬よりも大きいらしいことはわかる。和犬は実際に小さかったかもしれないが、一般的な想像としては、和犬が小さくて、貧弱というイメージであろうか(もしくは、私がそうイメージするように馴らされているのであろうか)。かつまた、加藤家のこの洋犬は、主人帰りを待つという、賢い犬だったのである。

長谷川時雨が見たカメ

「大丸呉服店」 長谷川時雨『旧聞日本橋』
「その時分、黒いやせた、茶色の斑点が額にコブのようにある洋犬(いぬ)をカメと呼んだ。」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000726/files/4533_9686.html

それでついでに、漱石。漱石は、熊本時代、近所からもらったかどうかした犬を飼っていた。これが気が強くて、よく吠え、人を咬んだようだ。この反省が、後に入り込んできた猫を飼う遠因になったのかもしれない。それでも、犬に関する描写は少ない。つぎの2つをのみ引用します。

夏目漱石『坊っちゃん』

「美しい顔をして人を陥れるようなハイカラ野郎は延岡に居《お》らないから……と君は云ったろう」
「うん」
「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」
「じゃ何と云うんだ」
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被《ねこっかぶ》りの、香具師《やし》の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」
「おれには、そう舌は廻らない。君は能弁だ。第一単語を大変たくさん知ってる。それで演舌《えんぜつ》が出来ないのは不思議だ」

夏目漱石『明暗』

「津田はだれが伴《つ》れて来たか分らない茶色の犬と、それからその犬を友達にしようとして大いに骨を折っているこの給使とをそのままにしておいて、また自分の机の前に立ち戻った。そうしてそこで定刻まで例のごとく事務を執《と》った。」

洋犬かどうかは分からないが、そうとはいえないようだが。
いずれにしても、夏目漱石の小説は人間臭くて、ちょっと求道的なところがあるので現代に受け入れられている面があると思うが、「吾輩猫」にしても、一応動物の目を借りてはいるが、実際には人間を描いたものでそこが面白い妙味となっているのではある。漱石にとっては、基本的に登場させる回数も少なく、犬猫はお飾り的であるといったら言い過ぎだろうか。逆に言えば、そこに漱石の主眼があるわけであろう。

7.洋犬と和犬にまつわる取締と飼主責任

岡本綺堂著『綺堂むかし語り』の「三崎町の原」には、明治20年前半頃の野原での野犬の状態が描かれている。

「 三崎町一、二丁目は早く開けていたが、三丁目は旧幕府の講武所、大名屋敷、旗本屋敷の跡で、明治の初年から陸軍の練兵場となっていた。それは一面の広い草原で、練兵中は通行を禁止されることもあったが、朝夕または日曜祭日には自由に通行を許された。しかも草刈りが十分に行き届かなかったとみえて、夏から秋にかけては高い草むらが到るところに見いだされた。北は水道橋に沿うた高い堤《どて》で、大樹が生い茂っていた。その堤の松には首縊《くびくく》りの松などという忌《いや》な名の付いていたのもあった。野犬が巣を作っていて、しばしば往来の人を咬《か》んだ。」

と、犬や野犬が表現されている。芝居修行のために、まだ夜も明けやらぬ三崎町の原を通り抜けて、本郷(現・3丁目)の春木座(のちの本郷座)まで行かなければならない。吠えて、近づいてくる野犬を追い払うために、棒切れを持たなければならなかった。

東京府という行政府を当初から悩ませてきたのは、野犬対策である。つぎの“お触れ”が出されている。野犬対策は、この当時は警察・警視庁の管轄であったようだ。

○警視庁告7号
朝野新聞 明治16年5月30日
標識のない犬で、凶暴な犬は、撲殺する。
警視庁の畜犬取締規則により、取締期間が設けられて、日にちが限られている。

すでに取締規則があること、 標識や鑑札がない犬は、無主物や野犬とみなして、所有権がないことを前提に一網打尽という、めんどくさいから行政がよく使う手に他ならない。

○東京曙新聞 明治12年7月1日
畜犬票のない犬や狂犬は殴殺する

旧士族の一人ともう一人へ、警視局より委託鑑札が下付されたとある。
野犬への対策として、巡査だけでは足りなかったためであろう。委託という形での増員というわけであります。

今日ではたぶん動物愛護法に反するだろう。狂暴の犬は撲殺を許可するとあって、なかなかラディカル。約2週間ほどにどれほどの効果があったのだろか。警視庁畜犬取締規則がこの時期あったといっている。

8.近代主義の犬

絶滅に瀕した和犬

 石井・明治事物起源1452頁は、洋犬のもてはやしと和犬の放置、洋犬との交雑が和犬をほぼ絶滅に追いやり、地方の方にわずかに伝統的和犬の名残を残していたのみと書いている。

西郷さんの犬


明治の犬といえば、西郷隆盛の連れている犬である。上野公園の西郷銅像にもやはり、浴衣がけで、小さな犬を連れた有名な像がある。これは実話だろうか。親族は浴衣がけ姿に驚いたという話ですが。

西郷さんが西南の役の勃発前後、つまり征韓論争が主要政治課題だった明治10年前後には、鹿児島に戻った西郷さんが、郷里の野原や山で狩をしながら、犬を連れた話が、司馬遼太郎『翔ぶが如く』にも見える。薩摩犬らしいのだが、卵かけの餌を与える場面が印象的で覚えている。西郷さんが実際に連れていた犬は薩摩犬だったろうが、銅像を作成する時には、薩摩犬がどのようなものか、苦労したのではなかろうか。といえば、歴史や近代化の中で消えた男と犬を象徴しているともいえないだろうか。

上の錦絵は、條野採菊が作った新聞社である「やまと新聞414号付録」明治21年2月24日「近世人物誌」。ブチの犬のようですが、薩摩犬かどうかはわかりませんね。大きな画像(45KB)

近代主義の犬

明治維新は、物質面で大きな変化をもたらした。物質が輸入されれば、それを生み出した西洋文化や社会、そして精神までも、露骨に、あるときは忍び込むように知らず知らずのうちに、明治社会や国家に流入したのであった。

西洋から流入したものは、いわば競争関係にあるから、それに近いトラディショナルなわが物品や文化、慣習それに考え方や感じ方まで変えたり、それに置き換わったりしてしまった。むろん、奇跡的に残ったものもあっただろうが、それとて西洋の物質・精神の影響を図らずも受けて、変容せざるをえなかったのではなかろうか。鎖国や排外主義が国是や個人のポリシーとなっていない場合、古いものは捨てられ、拝西洋や欧化主義が生まれる。庶民の生活意識レベルでは、だって流行っているんだもん、いいじゃないか、となる。旧式では、古すぎる、国粋主義と批判されるのである。

近代合理主義は、自然科学をはじめ政治、経済、科学、芸術など、ほとんどのジャンルで19、20世紀の物質世界や思想の根幹となったのであった。好むと好まざるとに関わらず誰でもが巻き込まれざるを得なかった。とくに幕末や明治の人々は、西洋文明やそこから来る物質や道具に優位を見いださざるを得なかっただろう。

このような傾向を色濃く帯びだした明治社会や当時の日本に対して、重要な警告を出した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が思い出される。幕末から維新にかけて、広重や北斎などですら浮世絵や錦絵は紙くず同然で売られた。和犬と同じ態度や運命がそこにあるといえまいか。今日の私たちは、西洋人がコレクションしたものをボストンやシカゴなどの美術館で見る始末である。

洋犬の示す、馴ら(テイミング)された性質、主人に忠実な振舞い、無駄吠えしない、などの特徴は理性的であり、他方、和犬はほぼ放し飼いで、見知らぬ怪しげな人を追い回し、吠え、噛みつく粗暴な病犬(やまいぬ)に近いものとして考えられたのではなかったか。さらに、洋犬は強く、和犬との喧嘩にも勝ち、人の生命や危難を救うという記事や伝聞が、洋犬の評判を高めたことと思う。飼いやすさや犬が居ることで得る飼主らの満足は、洋犬に軍配を上げたに違いない。かくして、和犬の運命はその絶滅寸前までへと向かったといえよう。明治文化のもたらした近代主義の一端がそこにないといえないだろうか。

明治社会は、どの程度に文明開化だったのか、人々はどのように合理主義の波に洗われていったのか、でした。それを明治の犬を通して見てみようというのが、今回のテーマでした。声なき動物たちの生存の運命にもまた、人間の近代主義の矛盾が見え隠れするのではなかろうか。■了


実際にリアルな洋犬の絵を見ることができるのは、ここかもしれない:
・早稲田大学図書館 「描かれた生きものたち−館蔵資料に見る動植物図譜−(後編)」
 「10.狗譜(くふ) 蓄犬図絵(ちくけんずえ) 文庫8 C974(紙本彩色 1巻)」は、洋犬の解説図である。

・本文では触れなかったけれども、犬のもう一つの災禍である:
読売新聞の明治データ 「狂犬病流行で冷遇された犬」





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