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綺堂ディジタル・アーカイヴ




つぎは綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです. 綺堂の英国視察旅行の印象記です.なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください.



栗の花
           岡本綺堂
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 栗《くり》の花、柿の花、日本でも初夏の景物にはかぞえられていますが、俳味に乏しい我々は、栗も柿もすべて秋の梢にのみ眼をつけて、夏のさびしい花にはあまり多くの注意を払っていませんでした。秋の木の実を見るまでは、それらはほとんど雑木《ぞうき》に等《ひと》しいもののように見なしていましたが、その軽蔑の眼は欧洲大陸へ渡ってから余ほど変って来ました。この頃の私は決して栗の木を軽蔑しようとは思いません。必ず立ちどまって、その梢をしばらく瞰《み》あげるようになりました。
 ひと口に栗と云っても、ここらの国々に多い栗の木は、普通にホース・チェストナットと呼ばれて、その実を食うことは出来ないと云います。日本でいうどんぐり[#「どんぐり」に傍点]のたぐいであるらしく思われる。しかしその木には実に見事な大きいのがたくさんあって、花は白と薄紅との二種あります。倫敦《ロンドン》市中にも無論に多く見られるのですが、わたしが先ず軽蔑の眼を拭《ぬぐ》わせられたのは、キウ・ガーデンをたずねた時でした。
 五月中旬からロンドンも急に夏らしくなって、日曜日の新聞を見ると、ピカデリー・サーカスにゆらめく青いパラソルの影、チャーリング・クロスに光る白い麦藁《むぎわら》帽の色、ロンドンももう夏のシーズンに入ったと云うような記事がみえました。その朝に高田商会のT君がわざわざ誘いに来てくれて、きょうはキウ・ガーデンヘ案内してやろうと云う。
 早速に支度をして、ベーカーストリートの停車場から運ばれてゆくと、ガーデンの門前にゆき着いて、先ずわたしの眼をひいたのは、かのホース・チェストナットの並木でした。日本の栗の木のいたずらにひょろひょろしているのとは違って、こんもりと生い茂った木振《きぶ》りといい、葉の色といい、それが五月の明るい日の光にかがやいて、真昼の風に青く揺らめいているのはいかにも絵にでもありそうな姿で、私はしばらく立ち停まってうっかりと眺めていました。
 その日は帰りにハンプトン・コートヘも案内されました。コートに接続して、プッシー・パークと云うのがあります。この公園で更に驚かされたのは、何百年を経たかと思われるような栗の大木が大きな輪を作って列《なら》んでいることでした。見れば見るほど立派なもので、私はその青い下蔭に小さくたたずんで、再びうっかりと眺めていました。ハンプトン・コートには楡《にれ》の立派な立木もありますが、到底この栗の林には及びませんでした。
 あくる日、近所の理髪店へ行って、きのうはキウ・ガーデンからハンプトン・コートを廻って来たという話をすると、亭主はあの立派なチェストナットを見て来たかと云いました。ここらでもその栗の木は名物になっているとみえます。その以来、わたしも栗の木に少なからぬ注意を払うようになって、公園へ行っても、路ばたを歩いても、いろいろの木立《こだち》のなかで先ず栗の木に眼をつけるようになりました。
 それから一週間ほどたって、私は例のストラッドフォード・オン・アヴォンに沙翁《さおう》の故郷をたずねることになりました。そうして、ここでアーヴィングが「スケッチ・ブック」の一節を書いたとか伝えられているレッド・ホース・ホテルという宿屋に泊まりました。日のくれる頃、案内者のM君O君と一緒にアヴォンの河のほとりを散歩すると、日本の卯《う》の花に似たようなメー・トリーの白い花がそこらの田舎家の垣からこぼれ出して、うす明るいトワイライトの下《もと》にむら消えの雪を浮かばせているのも、まことに初夏のたそがれらしい静寂な気分を誘い出されましたが、更にわたしの眼を惹《ひ》いたのはやはり例の栗の立木でした。河のバンクには栗と柳の立木がつづいています。
 ここらの栗もプッシー・パークに劣らない大木で、この大きい葉のあいだから白い花がぼんやりと青い水の上に映って見えます。その水の上には白鳥が悠々と浮かんでいて、それに似たような白い服を着た若い女が二人でボートを漕《こ》いでいます。M君の動議で小船を一時間借りることになって、栗の木の下にある貸船屋に交渉すると、亭主はすぐに承知して、そこに繋《つな》いである一艘の小船を貸してくれて、河下の方へあまり遠く行くなと注意してくれました。承知して三人は船に乗り込みましたが、私は漕ぐことを知らないので、櫂《かい》の方は両君にお任せ申して、船のなかへ仰向けに寝転んでしまいました。
 もう八時頃であろうかと思われましたが、英国の夏の日はなかなか暮れ切りません。蒼白い空にはうす紅い雲がところどころに流れています。両君の櫂もあまり上手ではないらしいのですが、流れが非常に緩いので、船は静かに河下へくだって行きます。云い知れないのんびりした気分になって、私は寝転びながら岸の上をながめていると、大きい栗の梢を隔てて沙翁紀念劇場の高い塔が丁度かの薄紅い雲のしたに聳えています。その塔には薄むらさきの藤の花がからみ付いていることを、私は昼のうちに見て置きました。
 船はいい加滅のところまで下ったので、さらに方向を転じて上流の方へ遡《さかのぼ》ることになりました。灯の少ないここらの町はだんだんに薄暗く暮れて来て、栗の立木も唯ひと固まりの暗い影を作るようになりましたが、空と水とはまだ暮れそうな気色《けしき》もみえないので、水明かりのする船端《ふなばた》には名も知れない羽虫の群れが飛び違っています。白鳥はどこの巣へ帰ったのか、もう見えなくなりました。起き直って、巻莨《まきたばこ》を一本すって、その喫殻《すいがら》を水に投げ込むと、あたかもそれを追うように一つの白い花がゆらゆらと流れ下って来ました。透かしてみると、それは栗の花でした。

   栗の花アヴォンの河を流れけり

 句の善悪はさておいて、これは実景です。わたしは幾たびか其の句を口のうちで繰り返しているあいだに、船は元の岸へ戻って来ました。両君は櫂を措《お》いて出ると、私もつづいて出ました。貸船屋の奥には黄いろい蝋燭が点《とも》っています。亭主が出て来て、大きい手の上に船賃を受けとって、グードナイトとただ一言、ぶっきらぼう[#「ぶっきらぼう」に傍点]に云いました。
 岸へあがって五、六間《けん》ゆき過ぎてから振り返ると、低い貸船屋も大きい栗の木もみな宵闇のなかに沈んで、河の上がただうす白く見えるぱかりでした。どこかで笛の声が遠くきこえました。ホテルへ帰ると、われわれの部屋にも蝋燭がともしてありました。
 ホテルの庭にも大きい栗の木があります。いつの間に空模様が変ったのか、夜なかになると雨の音がきこえました。枕もとの蝋燭を再びともして、カーテンの間から窓の外をのぞくと、雨の雫《しずく》は栗の葉をすべって、白い花が暗いなかにほろほろ[#「ほろほろ」に傍点]と落ちていました。
 夜の雨、栗の花、蝋燭の灯、アーヴィングの宿った家――わたしは日本を出発してから曾《かつ》て経験したことのないような、しんみりとした安らかな気分になって、沙翁の故郷にこの一夜を明かしました。明くる朝起きてみると、庭には栗の花が一面に白く散っていました。
             (大正八年五月、倫敦にて――大正8.7「読売新聞」)
 


底本:綺堂むかし語り 光文社時代小説文庫
入力:和井府 清十郎
公開:2000年9月4日
なお、振りかな(ルビ)は《》で示す




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