これは私の初期の作であるから、その善悪は措いて、今ならば斯うは書くまいと思はれる点がないでもないが、その一節をあらためると、全体の骨組がぐらつく虞れがあるので、いつも初演のまゝで押通すことにしてゐる。池田丹後を主人公とした悲劇でありながら、それに室町御所といふ題名を附けるのは少しく當らない。むしろ「片葉の芦」と云ふ方が優しかとも思はれるのであるが、一番目に据ゑる史劇としては「室町御所」の方が大きく聞えるので、初演當時この題を仮用したのが例になつて、今もそのまゝにしてゐる。元來、わたしは内容本位で、題名には余り苦労しない方であるから、どちらでも構はない。
扨その作の内容であるが、これは作者が説明すべきでない。作者の説明を聴いて、初めてハアさうかと判るやうな芝居は困る。設明を聴いても、まだ判らないやうな芝居はなほ困る。少なくとも私の作は、作者の設明を聴かなくても判るやうに書いてある。と、ばかり云つたのではお話にならない。少し思ひ出すことを書くと、この作の中でたゞ史實としては、松永弾正が謀叛を起して、その家來の池田丹後が將軍足利義輝の首を取るや否や、倒れて來る襖の骨のために眼を打つて盲目になつたと云ふだけのことである。一説に池田丹後はその場で眼が見えなくなつた爲に焼死したとも云ひ、おちぶれ果てて乞食の群に入り、諸人の門に立つて洛中をさまよひ歩いてゐたと云ふ。それだけの事は記録に残つてゐるが、その余のことは判らない。從つてこの作にあらはれてゐる松永の娘多門や、岩槻主水助や、それ等の事件はすべて空想の産物で、淀河に於ける片葉の芦の傳説を取込んだのであつた。
この作に就いて屡々聞かされる世評は、第一幕と第二幕は蛇足で、最後の第三幕だけで澤山だと云ふことであるが、それは芝居を知らない人の議論で、第一幕から第二幕、第二幕から第三幕と、だん/\に畳み込んで行けばこそ最後の場面が引立つので、なんの予備知識もなしに突然に第三幕を見せられたのでは、おそらく興味の半分を減殺されるであらう。単に台詞で設明した位では、本当に呑み込めるものではない。尤もこんなに度々上演されて、見物が大抵の筋を承知してしまつた暁には、或ひは最後の一幕だけでも濟むやうになるかも知れない。
それにしても、考へられるのは時世の推移である。初演當時、かの多門が余りに新しい女に書かれてゐると云ふので、一部の反感を買つたのであるが、今日ではこんな女は些つとも珍らしくない。時の流れの急速であることが今更のやうに思はれて、いはゆる今昔の感に堪へないのである。
(昭和九・六)
底本:岡本綺堂 綺堂劇談
青蛙房 昭和31年2月10日発行
入力+校正 和井府清十郎
原文は旧字