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綺堂ディジタル・コレクション





つぎは、綺堂のオリジナル作品をデジタル 化したものです。
 なお、入力者(和井府)自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。




◆  15 直 助 権 兵 衛

  『創作の思ひ出』より

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 直助権兵衛と云へば、すぐに四谷怪談――隠亡堀の鰻掻き――鶴屋南北――五代目松本幸四郎――を聯想するほどに有名なものになつてゐるが、實録によると、彼は本名を直助といひ、深川萬年町の庄兵衛といふ者の家作に佳んでゐる町医師中島隆碩方に下男奉公をしてゐるうち、享保六年正月十六日の曉方に主人隆碩夫婦を殺害し、その有金を奪つて逃亡したので、町奉行所から野上幸右衙門、篠原佐右衛門が出張して検視の上、主殺しは重罪であるから、人相書をまはして嚴重に詮議すると、直助は権兵衛と変名して麹町四丁目の米屋大和屋に奉公してゐることが露顯して、半年ばかりの後に召捕られた。彼は主人の中島方から盗み出した脇指を売つたが爲に、足が附いたのであるといふ。中島方の下女おつやは直助と情を通じてゐて、その兇行を知りながらひそかに逃亡させたといふので、これも召捕られて死罪となつた。
 被害者の中島隆碩は播州赤穗の浪人で、かの大石の復讐の一件に加盟しながら、討入りの前に変心して逃亡し、その後に町医師を始めたものである。普通に小山田庄左衛門であると云はれてゐるが、確かには判らない。大石の徒党で変心した者は他にもあるが、どう云ふわけか小山田庄左衛門がその代表者のやうに見做されてゐるので、中島隆碩も小山田にされてしまつたのかも知れない。それらの詳細は三田村鳶魚氏の考証を待つとして、大石の討入りは元禄十五年であるから、その後十九年にして変心者の隆碩は下男の手に殺されたのである。その居宅跡は俗に直助屋敷と呼ばれ、一時は私娼の巣窟となつてゐたと云ふ。そんな次第で、四谷怪談に何の關係があるわけでもなく、直助権兵衛の名が江戸に知られてゐたので、南北もそれを採用して、幸四郎のために當り役を作り設けたのであらうが、所詮かれは一個の小人に過ぎないのであつて、四谷怪談の三角屋敷で「三丈花に線香の、畑も細き小商人」などと反身になるやうな、江戸前の凄い兄哥ではなかつたらしい。彼は上州沼田在の生れである。
 これも三田村氏から教へられたことであるが、その當時、日本橋通一丁目田中近江方の奉公人権兵衛といふものが主人を殺して召捕られ、本名の権兵衛と偽名の権兵衛とが同日同罪で礫刑に行はれた。その頃は権兵衛などといふ名は澤山ある。そこで、直助も権兵衛と偽名したのであらうが、それが偶然にも一致して、眞者(ほんもの)と偽者の権兵衛二人が主殺しの同罪で、しかも同日に処刑になるとは、まことに怪しい因縁である。但し實際は両者のあひだに何の關係もなく、単に偶然一致というに過ぎないのであるが、それを劇に仕組む以上、両者が全然無關係では連絡が付かないので、わたしの脚本では、両者のあひだに一種の關係を結び附けることにした。その点は事實と相違してゐると思つて貰ひたい。他は御覧の通りでございますと云ふのほかはない。
                         (昭和五・六)



底本:岡本綺堂 「甲字楼夜話」綺堂劇談349−354頁
  青蛙房 昭和31年2月10日
入力:和井府 清十郎
公開日:2007年11月1日

おことわり:  一部旧漢字になっていない箇所があります





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