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綺堂ディジタル・コレクション




つぎは、綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです。
『日光の茶店』は、岡本綺堂の随筆集である『猫やなぎ』からのものです。比較的短いものですが、綺堂の人格なりが出ている作品ではないかと思います。この人格シリーズとして、次回にはもう一つの作品を上げる予定です。お楽しみに。
 なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。




日光の茶店
             岡本綺堂
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 明治三十九年の八月十二日。
 私はその朝、中禪寺をたつて、徒歩で舊道を下つて、午頃に日光の町に着いた。そこで手輕い午をすませて、停車場まへの茶店で上野行の上り列車を待ちあはせてゐた。
 晴れて暑い日で、今市の方へ歸るらしい空荷の馬が脊中に青い木の葉をのせて通つた。店から見透しになつてゐる裏手のあき地に、蝉の聲がさう/″\しくきこえた。
 上り列車は午後二時何分發とかいふので、わたしは三四十分ほどもこゝで空しく待ち合せてゐなければならなかつた。わたしはラムネと氷を飮みながら、眞白に光つてゐる往來の土をぼんやりとながめてゐた。發車時刻にはまだ間があるので、日盛りの往來にはなんの影をも落さなかつた。
 やがてこの店へ二人連れの客が這入つて來た。男は廿四五の書生風で、紺飛白の單衣に黒いメリンスのヘ兵兒帶をむすんでゐた。女は十八九の庇髮で、これも洗ひざらしの紺飛白を着してた。二人は額の汗をふきながら、竹の割籠をひらいて辨當を食ひはじめた。割籠にはをつめてあるだけで、茶店の老婆から煮染のやうなものを買つて、二人はむつまじく食つてゐた。二人は兄妹でない、おそらく夫婦であらうと私は見た。
 二人の服裝その他から想像するに、かれらは決して幸運の人々とは思はれなかつた。零落の二字が彼等の運命を説明してゐるやうに思はれた。わたしは氣の毒に思ひながら默つて見てゐると、この若い夫婦は非常に睦まじいらしく、時々小聲でなにか話し合ひながら割籠のを旨さうに食つてゐた。
 食つてしまつて、茶を飮みながら、男は茶店の老婆にむかつて、下野製麻會社の所在地を訊きはじめた。老婆は親切に教へてゐ。それから男は色々の話をはじめたが、なんでも水戸あたりの人で、これから製麻會杜の知人を頼つてゆくらしかつた。製麻會社は鹿沼町にある筈であるのに、なぜこの日光の町まで乘り越して來たのかも判らなかつたが、その口吻によると、なにかの都合でゆうべは今市に泊まつて、今日これから鹿沼の方角へ引返してゆくらしく思はれた。
『うまく勤め口があればいゝのですが。』と、男は心細いやうに溜息をついてゐた。
『この頃は會社も繁昌するさうですから、一人ぐらゐは何うにかなりますよ。と、老婆は慰めるやうに云つた。
 こんな問答の間、若い妻は夫のかげに隱れて始終つゝましやかに默つてゐた。汽車賃の都合かどうか知らないが、この二人は今市から杉並木をたどつて來たらしかつた。鹿沼へゆくならば、なぜ今市からすぐに汽車に乘らなかつたのか、それも私には想像がつかなかつた。
 いづれにしても、この若い夫婦が貧しい旅費を持つて、心寂しい旅をつゞけてゐるらしいのは見え透いてゐるので、わたしはいよ/\氣の毒になつた。さりとて、見も識らない人達に對して突然に金を突き出すわけには行かない。なにか好い機會があつたらばと、私は窃に待つてゐたが、男は金に困るといふやうなことは些つとも口に出さないので、わたしはどうすることも出來なかつた。二人はまた今市まで引返して、そこから汽車に乘るらしかつた。あるひは今市まで來たついでに、けふは日光見物に來たのかも知れないと私は思つた。それにしても、こゝから直ぐに汽車に乘れば好いのにと、私は又思つた。
 この場合、相手が若し男一人であつたらば、わたしは進んで其理由を訊いたかも知れなかつた。さうして、それが若し汽車賃不足のためであるならば、わたしが貸して遣らうと云ひ出したに相違なかつた。しかも私を幾たびか躊躇させたのは、男のそばに若い妻がつゝましやかに附添つてゐるためであつた。見も識らない私に突然こんなことを云ひ出されて、彼女はどう感じるであらう。一面には喜ぶかも知れないが、一面には屹と恥ぢるであらう。あるひは悲しむかも知れない。わたしはこの若い淑ましやかな人妻のまへで無遠慮に金を惠んでやらうと云ひ出す勇氣がなかつた。何等かの意味で、それが彼女の弱い感情を傷つけさうに思はれて、わたしは何だか痛々しくて堪まらないのであつた。
 二人は煮染の代十錢と茶代五錢とを置いて行つた。老婆は茶代は要らないと云つたが、男は無理に渡して行つた。二人は一個の大きい竹行李と風呂敷包みを重さうにかゝへて、傘もさゝずに日盛りの路をとぼ[#「とぼ」に傍点]/\と辿つて行つた。そこらには蝉がしきりに鳴いてゐた。
 わたしはこの夫婦に幾らかの金を惠むべき機會を逸してしまつた。わたしは寂しい心持で、二人のうしろ姿をいたづらに見送つてゐた。  汽車が今市に着いた時に、そこに彼の夫婦の姿が見出されるかと、わたしは窓から首を出して見まはしたが、彼等らしい客は乘車しなかつた。あるひは此次の汽車に乘るのかと思つた。汽車が鹿沼についた時に、わたしは又彼の二人のことを思ひ出した。宇都宮に着くと、町は今や大火で、二三日まへに泊つた旅館のあたりも一面の煙につゝまれてゐるのに驚かされた。上野に着くと、今夜は兩國の川開きで、こゝでは花火の音がぽん[#「ぽん」に傍点]/\聞えた。
 彼の若い夫婦の顏や姿は、今でもわたしはあり[#「あり」に傍点]/\と記憶してゐる。かれらは果して製麻會社へたづね着いたであらうか。そこで都合よく勤め口を見出して、夫婦はむつまじく暮してゐるであらうか。それとも其處にも落付くことが出來ないで、更にどこへかさまよつて行つたであらうか。
 わたしは其後にもたび[#「たび」に傍点]/\日光へ行つた。いつでも停車場に降りると、先づ眼にうかぶのは彼の若い夫婦の姿である。

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底本:岡本綺堂 猫やなぎ 岡倉書房 昭和9年4月20日発行
入力:和井府 清十郎
公開:2001年4月9日




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