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 綺堂ディジタル・コレクション

つぎは、綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです。 なお、入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。

 まだ新聞記者なりたての明治23年2月、編集長に勧められて観劇に行く。劇評を書くためである。つぎの記事は無署名ながら、岡本綺堂の、記念すべき東京日日新聞での第1作と推定されるものです。その理由などについてはこちら(綺堂作品紀聞)をご覧ください。




◆ 千歳座、中村座劇評 ―綺堂の新聞第1作記事

                   無署名 (岡本綺堂の作と推定)
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○千歳座  同座ハ本月一日開場、二日目総幕出揃となれり一番目ハ櫓競芝両国にて訥子の小野川母の水垢離を止めて意見する所孝子の情見へて能く出来たり角力場より仕返し迄難なし、照蔵の雷電上出来なり鐘供養の場にて訥子と共に鳶者を相手の立廻りハ花やか/\有馬の後室ハ品格に乏し、猿十郎の小野川の母※に火消の勘次ハ二役共に器用な人故申分なし、鬼丸の伊場軍三郎ハ受兼たり両力士を宥める所今少し手強くありたし召使お仲ハお三輪とお初を合併したやうな役廻り女中にいぢめられる所中々哀れに出来たり部屋へ帰て復主人を案じて弁天へ参詣せんと花道迄行き気が付て挿したる簪を取りて懐へ入れるを道具替りの知せト※思切て一散に向かふへはいる工合大出来なり猶になつて※らも音羽屋張りにて相応に遣られたり、田之助のお巻の方、由次郎のおしがの方只奇麗のみ評する程の事なし。大切扇屋熊谷御影堂の段、照蔵の上総、猿十郎の姉輪平次軽妙なり、宇十郎の忠太郎ハ御苦労千万、源平の敦盛、訥子の熊谷ハ難なし五條の橋にて物語りもやうの所双方共に見事/\先づ全体に一座中車輪の勉強故不日大入をかくなるべし
○中村座  同座も矢張り一日より開場狂言ハ蝶千鳥曽我敵討にて余程目先の変わつた仕組なり多見丸の時盛ハ相応なり五郎ハ勇気を含みて仲々好し只討入の場に到りてハ刀を振り廻して騒ぐのみ少しも趣なきハ残念、仙之助のお時軽く遣られたり万江ハ上出来申分なし、守太郎の禅師坊団三郎の二役ハ通常なり本田の二郎ハ諸役にて出来よし、荒太郎の京の小四郎ハ悪く気薄きも工藤ハ見事遣つて退けたり、仙升の重忠郎なし十郎ハ上出来討入の場ハ御苦労なり、婦雀の少将、橘久の助の虎両人共にあてやり/\何ハ兎もあれ初日よりの大入ハ一座中の骨折によるなるべし

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より大きな画像(jpgファイル、517KB)木版による活字(というより彫ったもの?)のようですね。
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出典:東京日日新聞明治23年2月7日五頁
入力:和井府 清十郎
※判読不能文字
・6行目「小野川の母※」は別の文献からすると「おあさ」というんですけれど、当ててある漢字が分からないのです。
・12行目「せト※(ゝか?)思切て一散に」他




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