竹橋事件は、明治11年8月23日に起きた。西南の役の論功行賞に不満を持った、近衛兵の一部が暴動・反乱を起こした事件である。 この事件の情景や情景を書き留めたものはあまりみないので、貴重ではなかろうか。パチパチと鉄砲の音がしたと言う。 明治11年秋になると、彗星騒ぎがあったらしい。これは、ハーレ―彗星とは違うものである。毎夜東の空に彗星が見えたと綺堂は書いている。いわゆる西郷星といわれるものである。西南の役で、死んだ西郷隆盛や桐野利明、篠原国幹らが星や雲の中に描かれたらしい。 西郷軍が東京まで攻め上るということがまことしやかに噂されたのかもしれないし、同じく新政府への不満がその基調になって同情を持って受け入れられたのかもしれない。 岡本綺堂 「西郷星」 かの西南戦役は、わたしの幼い頃のことで何にも知らないが、絵草紙屋の店に色々の戦争絵のあつたのを記憶してゐる。いづれも三枚続きで、五銭位。又その頃流行(はや)つた唄に、 紅い帽子(シャッポ)は兵隊さん、西郷に追はれて、 トツビキピーノピー。 今思へば十一年八月廿三日の夜であつた。夜半に近所の人がみな起きた。私の家でも起きて戸を明けると、何か知らないがポン/\バチ/\云ふ音が聞こえる。父は鉄砲の音だと云ふ。母は心配する、姉は泣き出す。父は表へ見に出たが、やがて帰つて来て「何でも竹橋内で騒動が起つたらしい。時々に流れだまが飛んで来るから戸を閉めて置け」と云ふ。 わたしは衾(よぎ)をかぶつて蚊帳の中に小さくなつてゐると、暫くしてバチ/\の音も止んだ。これは近衛兵の一部が西南役の論功行賞に不平を懐いて、突然暴挙を企てたものと後に判つた。 やはり其年の秋と記憶してゐる。毎夜東の空に当つて箒星が見えた。誰が云ひ出したか知らないが、これを西郷星と呼んで、先頃のハレー彗星のやうな騒ぎであつた。しまひには錦絵まで出来て、西郷桐野篠原等が雲の中に現はれてゐる図などが多かつた。 又その頃に西郷鍋といふものを売る商人が来た。怪しげな洋服に金紙を着けて金モールと見せ、附髭をして西郷の如く拵へ、竹の皮で作つた船のやうな形の鍋を売る、一個一銭。勿論、一種の玩具(おもちや)に過ぎないのであるが、何しろ西郷といふのが呼物で、大繁昌であつた。私などは母にせがんで幾度も買つた。 そのほかにも西郷糖といふ菓子を売りに来たが、「あんな物を喰つては毒だ」と叱られたので、買はずにしまつた。 (「思ひ出草」より) ☆関連文献 柴田宵曲「西郷星」日本の名随筆別巻95・草森伸一編『明治』(1991.1) 澤地久枝・火はわが胸中にあり(中公文庫) ・・・竹橋事件について |