場所の名は預かる。ある花柳界に近いところの喫茶店で、私が紅茶を飲んでゐた。
待合いの女らしい若い女が這入って来て、サンドウィッチ四十人分を注文した。一人前づつボール箱に入れてくれといふのである。
「何の寄合?」と、ボーイが聞いた。
「一中節(ふし)の順講(じゅんこう)……。ぢやあ、四時までにきっと頼みますよ。」
「はい、はい。」
女は急いで出て行つた。そのうしろ姿を見送りながら、私はボーイに声をかけた。
「待合いの姐さんだね」
「えゝ。XXといふ待合です。あすこからはよくサンドウィッチの注文が入ります。」と、彼は笑ひながら答へた。
三、四十人があつまって、茶菓子にしろ、夕飯にしろ、サンドウィッチを食ふのはめづらしくもない。しかもそれが一中節のおさらひである。何を食つて何を歌おうとめい/\の勝手には相違ないが、サンドウィッチを食ひながら、「さりとは狭き御料簡」などと歌うのかと思うと、私は微笑を禁じ得なかった。
蕎麦を食っても、鮨を食っても、食ひものに変わりはないといへばいふものゝ、一中節はサンドウィッチを食ひながら歌ひ、また書くべき性質のものではないように思はれる。芸術には一種の気分といふものがある。洋服を着て、サンドウィッチを食ひながら歌う一中節は、おそらく昔の一中節になり切れまい。開祖の都一中も世の変遷に驚いてゐるであらふ。
先頃も清元のある名家がラヂオの放送において、わが清元は決して「義理もへちまの皮羽織」のたぐいの物ばかりではないと云ひ、暗に清元はもつと高尚なものであることを主張していた。私もそれに異論はない。併し誰が何といっても、清元の特色は「義理もへちまの皮羽織」のたぐひにあると思う。その特色をみずから軽んずるような傾向を来たしたのも世の変遷である。
むかしの気分や、昔の特色を重んじてゐれば、時代に見捨てられなければならない。時勢について行かふとすれば、昔の気分や、むかしの特色を捨てゝ、更に新しいものを作らなければならない。江戸以来のわが俗曲界にも、今や革命の時が来た。
それは単にサンドウィッチの問題ではない。
著者は劇作家
出典(底本):大阪朝日新聞昭和10年10月4日夕刊(一) 「秋の随想」
入力:和井府清十郎
公開:2006.4.12
なお、ルビを省略した箇所があります。