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『青蛙堂鬼談』を読む



   もくじ 
・「青蛙堂鬼談(せいあどうきだん)」とは:12篇の刊行年代
・「青蛙堂鬼談」の誕生
・「青蛙堂鬼談」を読む


青蛙堂鬼談とは

 「青蛙堂鬼談」は、12篇のシリーズからなる作品である。関東大震災後、1924年末から翌25年にかけて、主に『苦楽』という雑誌に発表された作品群である。岡本綺堂満52−3歳の円熟期の作品として、「三浦老人昔話」よりもよりミステリー色の強い作品であるといえよう。

「青蛙堂鬼談]シリーズとしての編集は、たとえばつぎの順序構成になっている。青蛙房『岡本綺堂読物選集 第四巻』も『青蛙堂鬼談』角川文庫版(1965)も、これと同じ順序の編成のようである。表のグレイ色部分は、これらの本による解説。
 右端の欄の<誌名・出版年>は、昭和女子大学近代文学研究室『近代文学研究叢書第44巻』(1977年)「岡本綺堂」参照、および独自の調査による。
  改訂 2000年10月。傍線で消したものは旧稿で掲載していたもので、誤っておりました、つつしんで訂正します。「調査中」とするのをいくつか減らすことができました。残る「兄妹の魂」は不明、「猿の眼」はページを未確認。ご存知の方がありましたら、ぜひお寄せください。

題名著作時期初出誌誌名・出版年
第 1篇「青蛙神」大正13(1924)年12月作『苦楽』『苦楽』1925(大正14)年3月1日号98頁
1924(大正13)年3月1日号
第 2篇「利根の渡」大正14(1925)年2月作『苦楽』『苦楽』1925(大正14)年5月1日号278頁
第 3篇「兄妹の魂」掲載誌不詳 不明
第 4篇「猿の眼」大正14年7月作『苦楽』『苦楽』1925(大正14)年10月1日号 頁未確認
第 5篇「蛇精」大正14年5月作『苦楽』1925(大正14)年8月号130頁
第 6篇「清水の井」大正13年7月作『写真報知』『講談倶楽部』1925(大正14)年2月1日号
第 7篇「窯変」大正14年6月作『苦楽』『苦楽』1925(大正14)年9月1日号228頁
第 8篇「蟹」大正14年4月作『苦楽』『苦楽』1925年7月1日号224頁
第 9篇「一本足の女」大正14年3月作『苦楽』『苦楽』1925(大正14)年6月1日号160頁
第10篇「黄い紙」大正14年9月作『苦楽』『苦楽』1925(大正14)年12月1日号192頁
第11篇「笛塚」大正14年1月作『苦楽』『苦楽』1925年4月1日号128頁
第12篇「龍馬の池」大正14年8月作『苦楽』『苦楽』1925年11月1日号154頁

  ――『影を踏まれた女―岡本綺堂怪談集』(光文社文庫、1988)

 『苦楽』は『女性』などとともに、大阪に本社があったプラトン社の雑誌である。なかなかおしゃれな作りとなっている。
 最近では、「青蛙堂鬼談]としてシリーズ全体を収録刊行する本・文庫はあまりないため、手に入りにくい。ただ、「利根の渡」は半七捕物帳を除いた読物では人気第1位である。また、「一本足の女」「猿の眼」などはそのミステリーや怪奇性のゆえに、個別に収録されている。
 作品はすべてが綺堂のオリジナルというわけではなさそうだ。中国の話に題材を求めたものもある。



青蛙堂鬼談の誕生

 年譜によると、1924(大正13)年3月には、大久保百人町に引越して、翌1925年6月までここで「市外」での郊外生活を送ることになるので、作品の半分くらいは大久保で書かれたことになろう。

 先の『三浦老人昔話』の第1話「桐畑の太夫」は、大正12年10月に書かれて、翌大正13年1月「苦楽」刊行された。その年中にシリーズの残りの話が書かれて終了するが、この『青蛙堂鬼談』は、この直後から書かれているようである。1924年から翌1925年にかけて書かれ、またもっぱら雑誌『苦楽』に刊行されたといえる。

 「青蛙堂鬼談」が『苦楽』に連載された以降、怪談ものの注文が多くなったという。それは『近代異妖篇』『異妖新篇』『怪獣』という成果につながる。その意味では、青蛙堂鬼談は、怪奇・怪談・ミステリーものの綺堂という一面を明らかにした作品になったといえよう。




「青蛙堂鬼談」を読む

怪奇性・ミステリー性を強めた
 弁護士でもあり、隠居して「青蛙堂]という号を持つ人物の家に召集されて、そこに参集した人達のそれぞれの怪談話を聞書きしたもの、という体裁をとっている。
特徴として、より怪奇性が強められている。第一話の「青蛙神」は、三本の足を持つ青蛙神の登場というミステリー調で始まる。前作の『三浦老人昔話』でも「置いてけ堀」のように怪奇を意識したものは幾つかあったが、このシリーズでは、明らかにより怪奇的な話が書かれて、集められているといえるだろう。

江戸以外を舞台としたものも多くなる
 第二の特徴としては、話の舞台が江戸の町から離れていることである。これは、小石川に所在する青蛙堂に参集してきた人達の出身地や生活した土地が江戸以外の土地であるからでもある。第一話の「青蛙神」はもともと中国の古い話である。本シリーズの中ではとくに有名な「利根の渡」は、房川の渡を舞台にしたものであり、「蛇精」は九州のとある山里での話を扱っている。
 さらに、「清水の井(いど)」も九州・熊本を舞台として菊池一族の末裔と平家落人伝説を絡めた物語である。
 有名な、「一本足の女」は千葉・館山城下が舞台で、八犬伝で有名な里見家の家来を主人公にしている。この作品は前半と後半の構成と対比がすごく、吸血女あり、エロス的な叙述ありで、綺堂作品の中ではなかなかすごいものがある。

“現代”である明治の話も多い
 第三の特徴は、江戸時代から戊辰戦争の頃までの話が主体である『三浦老人昔話』に比べると、比較的近代つまり作品の当時の時代である明治中期頃までの話がいくつか入っていることである。「兄妹の魂」は、話手である第三の男の学生時代の友人である兄妹の事件を扱ったもので、主たる場所も妙義山である。綺堂は、妙義山に登山したり、麓の温泉で避暑したこともある。戯曲「鳥辺山心中」などはこのときに書かれたものといわれる。
 また、「猿の眼」は明治4、5年の東京が舞台である。「黄色い紙」は明治の官吏の“権妻(ごんさい)”とコレラ事件を扱ったものである。このように、江戸の昔ばかりでなく、書かれた当時の時代を扱うようなストーリー自体が求められたせいともいえるだろう。岡本綺堂の作風も江戸物ばかりではなく、モダン物になったという印象を与える。

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 なお、上の図は大正期の雑誌広告より編集
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