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綺堂ディジタル・コレクション





つぎは、綺堂のオリジナル作品をデジタル 化したものです。
 なお、入力者(和井府)自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。




◆      13 新 宿 夜 話   『創作の思ひ出』より

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 これは大体は史実に拠つたものでありまして、享保三年(或は四年ともいふ)の頃、四谷大番町に屋敷を持つてゐる四百石の旗本内藤新五左衛門の弟に大八といふ道楽者があつて、常に新宿を遊びあるき、とかくに喧嘩買などをして土地の者に嫌はれてゐたのですが、結局その土地の信濃屋といふ旅籠屋(即ち遊女屋で、こゝらは旅籠屋の名儀になつてゐるのです)の奉公人等に打擲され、さん/"\の体になつて屋敷へ帰つて来ると、兄の新五左衛門は非常に立腹して、すぐに大八に腹を切らせてしまつた。昔の武士気質のまだ残つてゐる兄と、当世風の柔弱に流れた弟と、この対照に其時代の姿が窺はれます。
 新五左衛門は弟の首を大目付松平図書頭の屋敷へ持参して、右の始末につき弟大八は成敗した。この上はわたくしの知行を差し上げますから、内藤新宿を永代お取潰しを願ひ奉ると申出でたのです。その願ひは聞き届けられて、新五左衛門の家も潰され、内藤新宿も潰されてしまひました。新五左衛門はどうなつたか判りません。恐らく親類の屋敷にでも身を寄せて一生を終つたのでせう。
 併し一方の新宿は潰れたまゝでは済みません。それから五十年ほどの後、明和九年頃に再興を許されて例の旅籠屋も出来、町家も出来て、昔の繁昌をくり返すことになりました。新五左衛門といふ人は其頃まで生きてゐたか何うだか知りませんが、若し生きてゐて其のありさまを目撃したらば、定めて感慨無量であつたらと想像されます。一旦取潰された自分の家は再興しないが、新宿は再興して昔ながらの弦歌の巷となる。武士の意地も、所詮は貧しい人間一個のカに過ぎないもので、時の流れの大きいカに対抗することは出来ない。人間のカの頼りなさに、彼は無限の悲哀を感じたでありませう。
 それを思つて、私は内藤新五左衛門(脚本では齋藤甚五左衛門)を生かして置くことにしました。彼はその後、出家して他国に赴き、何十年振りで江戸へ帰つて来ると、一旦潰された筈の新宿が再興してゐるので、感慨無量で其処を立去ると云ふことに書いてみました。但し彼を一個の老いたる旅僧として点出しただけに留めて置きましたので、多数の観客の中には、前の武士と後の老僧とを別人のやうに見てゐる人もあるやうです。
 こゝで老僧が自分の過去を語り、併せて現在に対する感慨を述べることにすれば、観客にもよく諒解されるとは思ひますが、それでは何分にも作の調子が低くなるので、旅僧には一切何事も云はせませんでした。それがために、同人か別人かの疑ひも起るやうになるのですが、注意して見て下されば、それが同人であることは自然に諒解されると思ひます。(昭和一一・三)


底本:岡本綺堂著 綺堂劇談 昭和三一年二月一〇日発行 青蛙房
入力日:二〇〇九年十二月二三日
入力:和井府清十郎
おことわり:一部旧漢字になっていない箇所があります。





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