logoyomu.jpg

綺堂ディジタル・コレクション





つぎは、綺堂のオリジナル作品をデジタル 化したものです。
 なお、入力者(和井府)自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。





  「創作の思ひ出」より

岡 本 綺 堂 kido_in.jpg


      5 鳥 邊 山 心 中

 大正四年の八月、その頃わたしは上州磯部温泉の鳳來館に避暑に行つてゐた。この温泉は持病の胃腸に効くとか云ふので、前年も保養に來たことがある。その八月も半ば過ぎであつた。
 東京の松竹から急使を派して、本郷座の九月狂言に何か書いてくれといふ。何分にも出先であるので、なんの参考書も持合せてゐない。そこで、かねて腹案のお染半九郎を書いてみようと云ふことになつたが、東京へ引返してゐては後れるので、その晩から宿屋の机にむかつて書きはじめた。
 その頃、わたしは時事新報の蓮載小読をかいてゐたので、原稿紙だけは用意してゐたが、前にも云ふ通り、参考書などは一冊もない、文字通りの一夜漬である。なにしろ四五日の餘裕しか與へられてゐない。今日ならば無論に断わるのであるが、その頃はまだ無鐵砲であつたのと、少しく断わりにくい事情もあつたのとで、内心いさゝか窮しながらも引受けて仕舞つたのである。
 幸ひに磯部はあまり暑くなかつたので、私は夜なかまで書きつ続けた。温泉場は大抵さうであるが、こゝにも虫が多い。色々の虫が電燈を目がけて飛び込んで來る。殊に蝉の多い所で、大きい油蝉が弾丸のやうにバラ/\飛び込んで來て、電燈にあたつて机の上に落ちるのがある。私のあたまを撲つのがある。これはどうにも防ぎ切れない。私は蝉と闘ひながら書きつ買けたが、電燈と油蝉―それがお染半九郎の情緒を破ることおびたゞしい。まつたく義太夫のサワリなどを書いてゐる氣分になれなかつた。
 あくる朝は新聞の小読を書かなければならない。それを一回書いて、午後から再び鳥邊山に取りかゝると、今夜もまた蝉との闘ひである。左團次君や松蔦君の舞台を観ながら、「女肌には白無垢や」の哀調を聴いてゐる観客諸君は、わたしが油蝉に頭を撲たれつゝ、それを書いたことを夢にも知るまい。
 その當時、わたしが東京にゐて、自宅の書齋で筆を執つたならば、もう少し落付いた氣分で書くことが出來たものをと、今さら残念におもふ。幸ひにそれがまぐれあたりの好評を博して、廿二年後の今日まで舞台の上にその生命を保つてゐるのは、實に豫想外の仕合せであると云つてよい。今日の私は油蝉やカナブンと闘ひながら、物をかく元氣はない。あの頃はまだ強かつたなあと、老人の思ひ出話をかくの通り。           (昭和一二・一二)

底本:岡本綺堂 「甲字楼夜話」綺堂劇談316−1319頁
  青蛙房 昭和31年2月10日
入力:和井府清十郎
公開日:2007年4月11日

おことわり
 原文の旧字のようになっていない箇所があります。






綺堂事物ホームへ

(c) 2007. Waifu Seijyuro. All Rights Reserved.

inserted by FC2 system