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綺堂ディジタル・アーカイヴ





つぎは綺堂のオリジナル作品(翻訳)をデジタル化したものです. 綺堂の翻訳物を読む機会はあまりありませんので公開する次第です.なお、誤字などありましたら、ご連絡ください.



◆*陶淵明『捜神後記』 岡本綺堂訳
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武 陵 桃 林


   東晋《とうしん》の太元《たいげん》年中に武陵《ぶりよう》の黄道真《こうどうしん》という漁人《ぎよじん》が魚を捕りに出て、渓川《たにがわ》に沿うて漕いで行くうちに、どのくらい深入りをしたか知らないが、たちまち桃の林を見いだした。
 桃の花は岸を挟んで一面に紅く咲きみだれていて、ほとんど他の雑木はなかった。黄は不思議に思って、なおも奥ふかく進んでゆくと、桃の林の尽くるところに、川の水源《みなもと》がある。そこには一つの山があって、山には小さい洞《ほら》があもる。洞の奥からは光りが洩《も》れる。彼は舟から上がって、その洞穴の門をくぐってゆくと、初めのうちは甚《はなは》だ狭く、わずかに一人を通ずるくらいであったが、また行くこと数十歩にして俄《にわ》かに眼さきは広くなった。
 そこには立派な家屋もあれば、よい田畑もあり、桑もあれば竹もある。路も縦横に開けて、※《とり》や犬の声もきこえる。そこらを往来している男も女も、衣服はみな他国人のような姿であるが、老人や小児も見るからに楽しそうな顔色であった。かれらは黄を見て、ひどく驚いた様子で、おまえは何処《どこ》の人でどうして来たかと集まって訊くので、黄は正直に答えると、かれらは黄を一軒の大きい家へ案内して、※を調理し、酒をすすめて饗応した。それを聞き伝えて、一村の者がみな打ち寄って来た。
 かれら自身の説明によると、その祖先が秦《しん》の暴政を避くるがために、妻子眷族《けんぞく》をたずさえ、村人を伴って、この人跡《じんせき》絶えたるところへ隠れ住むことになったのである。その以来再び世間に出ようともせず、子々孫々ここに平和の歳月《としつき》を送っているので、世間のことはなんにも知らない。秦のほろびた事も知らない。漢《かん》の興《おこ》ったことも知らない。その漢がまた衰えて、魏《ぎ》となり、晋《しん》となったことも知らない。黄が一々それを説明して聞かせると、いずれもその変遷《へんせん》に驚いているらしかった。
 黄はそれからそれへと他の家にも案内されて、五、六日のあいだは種々の饗応を受けていたが、あまりに帰りがおくれては家内の者が心配するであろうと思ったので、別れを告げて帰って来た。その帰り路のところどころに目標《めじるし》をつけて置いて、黄は郡城にその次第を届けて出ると、時の太守劉韻《りゆういん》は彼に人を添えて再び探査につかわしたが、目標はなんの役にも立たず、結局その桃林を尋ね当てることが出来なかった。



なお、振りかな(ルビ)は《》で示す
※の字は、「奚」扁に「隹」

底本:架空の町 J・L・ボルヘスほか著 (書物の王国  東雅夫ほか編纂; 1) 国書刊行会 1997.10
親本:岡本綺堂読物選集7(青蛙房)

* 陶淵明(365−427) 中国の詩人。「捜神後記」は異聞・説話を集めた小説集。
入力:清十郎




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