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綺堂ディジタル・アーカイヴ




つぎは綺堂のオリジナル作品をデジタル化したものです。 入力者自身による校正はいたしましたが、ベーター版ですので誤字などありましたら、ご連絡ください。



雪の一日
           岡本綺堂
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 一月二十二日、日曜日、昨夜からの雪が降り頻つてゐる。終日無事。古い雑記帳を繰返して、雪に関する記録をあさつてみると、大正十五年三月の條にこんな記事を発見した。勿論、当座の書き捨で、今まで世間に発表したことも無いのであるが、自分に取ってはこれも一種の思ひ出であるので原文を其侭こゝに複写してみる。その頃、私は麹町一丁目に住んでゐたのである。

 三月二十日、土曜日。午前八時ごろに寝床を離れると、昨夜から降り出した雪はまだ止まない。二階の窓をあけて見ると、半藏門の堤は眞白に塗られてゐる、電車の停留場には傘の影が幾つも重なり合つて白く揺いでゐる、雪を載せたトラツクが幾台も続いて通る、雨具をつけて自転車を走らせて行くのもある。紛々と降りしきる雪のなかに、往来の男や女はそれからそれへと続いてゆく。さすがは市中の雪の朝である。顔を洗ひに降りてゆくと、台所には魚屋が雪だらけの盤台をおろしてゐて、彼岸に這入つてからこんな雪はめづらしいなどと話してゐた。その盤台の紅い鯛の上に白い雪が薄く散りかゝつてゐるのも、何となく春の雪らしい風情をみせてゐた。
 私はこのごろ中耳炎にかゝつて、毎日医師通ひをしてゐるのであるが、何分にも雪が烈しいのと、少しく感冒の気味でもあるのとで、今朝は出るのを見合せて、熱い紅茶を一杯啜り終ると、再び二階へあがつて書斎に閉ぢ籠つてしまつた。東向きの肱かけ窓は硝子戸になつてゐるので、居ながらにして往来の電車道の一部が見える。机にむかって読書、ときどきに往来の雪げしきを眺める。これで向ふ側に小学校の高い建物がなければ、濠端の眺望は一層よからうなどと贅沢なことも考へる。表に往来の絶え間はないやうであるが、やはりこの雪を恐れたとみえて、けふは朝から来客が無い。弱虫は私ばかりでも無いらしい。
 午頃に雪もやう/\小降りになつて、空の色も薄明るくなつたかと思ふと、午後一時頃から又強く降り出して来た。まつたく彼岸中にこれほどの雪を見るのは近年めづらしいことで、天は暗く、地は白く、風も少しく吹き加はつて、大綿小綿が一面にみだれて渦巻いてゐる。かうなると、春の雪などといふ淡い気分ではなくなつて来た。寒暖計をみると四十五度、正に寒中の温度である。北の窓をあけると、往来を隔てたK氏の邸は、建物も立木も白く沈んで、そのうしろの英國大使館の高い旗竿ばかりが吹雪のあひだに見えつ隠れつしてゐる。
 寒い風が鋭く吹き込んで来るので、私はあわてゝ窓の雨戸をしめ切つて、再び机の前に戻つた。K氏は信州の人である。それから連想して、信州あたりの雪は中々こんなことではあるまいと思つてゐるうちに、夏に信州のT氏のことを思ひ出した。T氏は信州の日本アルプスに近い某村の小學校教員を勤めてゐて、土地の同好者をあつめて俳句会を組織してゐるので、私の所へもときどきに俳句の選をたのみに来る。去年の夏休みに上京したときに、この二階へもたづねて来て、二時間あまりも話して帰った。T氏は文学趣味のある人で、新刊の小説戯曲類も相当に読んでゐるらしかつたが、その話の末にこんなことを云つた。『御承知の通り、わたくし共の地方は冬が寒く、雪が多いので、冬から春へかけて四ヶ月ぐらいは冬籠りで殆どなんにも出来ません。俳句でも捻つてゐるのが一つの楽しみです。それですから、辺鄙の土地の割合には読書が流行ります。勿論、むづかしい書物をよむ者もありますが、娯楽的の書物や雑誌もなか/\多く読まれてゐます。あなたなぞも成るべく戯曲をお書きにならないで、小説風の読み物をおかき下さいませんか。戯曲も結構ですが、何と云つても戯曲を読むものは少数で、大部分は小説を喜びますから、それ等の人々を慰めてやるといふお考へで、努めて多数を喜ばせるやうな物をお書きください。』
 私はけふの雪に対して、T氏のこの話を思ひ出したのである。信州にかぎらず、冬の寒い、雪の深い、交通不便の地方に住む人々に取つて、彼等が炉畔の友となるものは、戯曲にあらずして文芸作品か大衆小説のたぐひであらう。なんと云つても、戯曲には舞台が伴ふものであるから、完全なる劇場をも持たない地方の人々の多数が、戯曲をよろこばないのは当然のことで、単に読むだけに止まるならば、戯曲よりも小説を擇むであらう。大きい劇場で絶えず興行してゐるのは、東京以外、京阪その他幾ヶ所の大都会にかぎられてゐる、したがつて観客の数も限られ、またその興行の時間も限られてゐる。それらの事情から考へても、場所を限られ、時間を限られ、観客がかぎられてゐる戯曲は、どうしても普遍的の物にはなり得ない。
 それに反して、普遍的の読み物のたぐひは場所をかぎらず、時を限らず、人を限らず、全国到るところで何人にも自由に読み得られる。単に内地ばかりでなく、朝鮮、満州、台湾、琉球は勿論、上海、香港、新嘉坡、印度、布哇から桑港、シカゴ、紐育に至るまで、わが同胞の住むところには、総てみな読まれるのである。寒い国の炉のほとり、熱い国の青葉のかげに、多数の人人を慰め得るものは――勿論、戯曲もその幾分の役目を勤めるであらうが、その大部分は読む物のたぐひでなければならない。筆を執るものは眼前の華やかな仕事にのみ心を奪はれて、東京その他の大都会以外にも多数の人々が住むでゐることを忘れてはならない。又その大都会に住む人々のうちにも、いはゆるプレイ・ゴーアーなるものは案外に少数であることを記憶しなければならない。
 先月初旬に某雑誌から探偵小説の寄稿をたのまれたが、私はなんだか気が進まないので、実はけふまで其侭にして置いたのである。それを急に書く気になつて、わたしは机の上に原稿紙をならべた。耳がまだ少しく痛む、からだにも少しく熱があるやうであるが、私は委細かまはずにペンを走らせて、夕方までに七八枚を一気に書いた。あたまの上の電燈が明るくなる頃になつても、表の雪はまだ降りつゞけてゐる。私もまだ書きつゞけてゐる。信州にも雪が降つてゐるであらうか。T氏の村の人たちは炉を囲んで、今夜は何を読んでゐるであらうか。



底本:『新潮』昭和8年3月1日号98頁

のち、『猫やなぎ』岡倉書房 昭和9年4月20日刊180頁以下に収録。ただし、冒頭の一段落は削除されている。

入力:和井府 清十郎

公開:2000年11月03日




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