logoyomu.jpg

半七捕物帳を読む

  半七考




半七考 その9   半七が見た花

 今回は、江戸の花。喧嘩や火事ではなく、植物。どんな花を半七は見たのでしょう。
花とくれば、やはり桜花。この登場が一番多い。花見の話題が最も多い。岡本綺堂自身が春の季節を好んだという推測も成り立つのでしょうか。また、花がテーマの捕物帳といえば『朝顔屋敷』である。それでは、花の咲く季節順に。

こぶし

「庭には白い辛夷《こぶし》の花が咲いていた。」『正雪の絵馬』

菜の花

「半七は菜の花の黄いろい畑のあいだを縫って、屋敷の横手を一と通り見まわした。」『帯取の池』


桜花

花見は多いですね。
花見の季節 近い
「花見の時節ももう近づいたので、ここらの農家の者が急拵えの店を作ったらしいが、まだ商売を始めているわけではなく、ほんの型ばかりの小屋になっている。」『白蝶怪』


花見の名所といえば、上野、向島、飛鳥山、御殿山
「陽気も大分ぽか付いて、そろそろお花見気分になって来ましたね」と、半七老人は半分あけた障子の間からうららかに晴れた大空をみあげながら云った。「江戸時代のお花見といえば、上野、向島、飛鳥山《あすかやま》、これは今も変りがありませんが、御殿山《ごてんやま》というものはもう無くなってしまいました。昔はこの御殿山がなかなか賑わったもので、ここは上野と違って門限もない上に、三味線でも何でも弾《ひ》いて勝手に騒ぐことが出来るもんですから、去年飛鳥山へ行ったものは、今年は方角をかえて御殿山へ出かけるという風で、江戸辺の人たちは随分押し出したもんでした。」『張子の虎』

上の絵は、『江戸名所図会』より、「御殿山看花」
左は幕を張って、また、右には家来を連れて武家の奥方らしき一行。遠くは品川・江戸の海。

『甘酒売』も向島での花見が登場。

○花見のお誘い 妹と兄嫁


「いい陽気になりました」と、お粂はまだ白い歯をみせて笑いながら会釈した。「姉さん。今年はもうお花見に行って……」『異人の首』

妹お粂が義姉を、飛鳥山への花見に誘いに来る場面が描かれている。なぜ飛鳥山かは、理由が書いてある。

花見や桜時期のストーリーは、ほかに『薄雲の碁盤』『弁天娘』『お照の父』『帯取の池』『二人女房』など多い。

花時 桜の雨模様というのはよくありますね。

「花どきの癖で、長持ちのしない天気はきのうの夕方からなま暖かく陰(くも)って、夜なかから細かい雨がしとしと[#「しとしと」に傍点]と降り出した」『張子の虎』 「花どきの癖で午(ひる)頃から俄か雨がふり出して来た。」『海坊主』

八重桜 神田

「この春はめずらしく火事沙汰が少なかったが、夕方から大南風(おおみなみ)が吹き出して、陽気も俄かに暖くなった。歩兵屯所の八重桜も定めてさんざんに吹き散らされるであろうと、半七は想像した。行く春のならいで、花の散るのは、是非もない」『歩兵の髪切』

老人と青年記者

向島、長命寺らしいところで、葉桜見物。

「一軒の掛茶屋を見つけて、二人は腰をおろした。花時をすぎているので、ほかには一人の客も見えなかった。老人は筒ざしの煙草入れをとり出して、煙管《きせる》で旨そうに一服すった。毛虫を吹き落されるのを恐れながらも、わたしは日ざかりの梢を渡ってくる川風をこころよく受けた。わたしの額はすこし汗ばんでいた。」『広重の絵』

葉桜の頃の、隅田堤はさびしくなる。『歩兵の髪切』

○汽車で花見 小金井の花見の今昔

「それでも当節は汽車の便利があるから、楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになっていましたが、歩いてみるとなかなか遠い。ここで一日ゆっくりお花見をすると、どうしても一泊しなければならない。小金井橋のあたりに二、三軒の料理屋があって、それが旅籠を兼業ですから、大抵はそこに泊めてもらうことになるのですが、料理屋といっても田舎茶屋で、江戸から行った者にはずいぶん難儀でした」(『二人女房』)

「しかしそれが本当の保養でしょう。今日のように、汽車に乗るにも気違いのような騒ぎじゃあ、遊びに行くのか、苦しみに行くのか判りません。どう考えても、ほんとうの花見は昔のことでしょうね。」『二人女房』

この汽車というのは甲武鉄道のこと?

○川越 花

「はあ、川越へお出ででしたか。……あなたはどういう道順でお出でになりました……。ははあ、四谷から甲武鉄道に乗って、国分寺で乗り換えて、所沢や入間川(いるまがわ)を通って……。成程、陸(おか)を行くとそういう事になりましょうね。江戸時代に川越へ行くには、大抵は船路でした。浅草の花川戸から船に乗って、墨田川から荒川をのぼって川越の新河岸へ着く。それが一昼夜とはかかりませんから、陸を行くよりは遙かに便利で、足弱の女や子供でも殆ど寝ながら行かれるというわけです。」『川越次郎兵衛』
半七は、江戸期に二度出かけたことがある。
四谷 甲武鉄道 国分寺 所沢・入間川をとおって、川越へ。

躑躅(つつじ)

躑躅(つつじ)は、『廻灯籠』に登場する。

菖蒲(あやめ)

菖蒲(あやめ)も、『山祝いの夜』や『廻灯籠』に描かれている。
「六日の菖蒲(あやめ)になるぜ」『正雪の絵馬』
 五月五日の節句に菖蒲を使うので、その翌日では時期を逃して、役に立たないの意味。
 「一〇日の菊」というのも同じ意。

ざくろ

「五月十日の朝である。半七がいつもよりも少し朝寝をして、楊枝《ようじ》をつかいながら縁側へ出ると、となりの庭の柘榴(ざくろ)の花があかく濡れていた。外では稗蒔(ひえまき)を売る声がきこえた。」『海坊主』
空にはツバメが飛んでいる頃でしょうか。



「ええと……、誰(た)が願(がん)ぞ地蔵縛りし藤の花……。そんな句がありますかえ」『地蔵は踊る』  句は几董(きとう)。小日向・茗荷谷の林泉寺の門外の地蔵堂、第六天町の高源寺の門前、の二カ所に縛られ地蔵があった。
あじさい

「井戸のそばには大きい紫陽花(あじさい)が咲いていた。……それから生垣越しに隣りをうかがうと、……ここらとしては小綺麗に出来ているらしい造作で、そこの庭にも紫陽花がしげっていた。」『海坊主』
竹の花

“竹の花”とは、飢饉の予兆のように咲く花と思いきや……。
「嘉永三年七月六日の宵は、二つの星のためにあしたを祝福するように、あざやかに晴れ渡っていた。七夕《たなばた》まつりはその前日から準備をしておくのが習いであるので、糸いろいろの竹の花とむかしの俳人に詠まれた笹竹は、きょうから家々の上にたかく立てられて、五色《ごしき》にいろどられた色紙《いろがみ》や短尺《たんざく》が夜風にゆるくながれている……」『半七先生』
朝顔

「朝顔屋敷――その名を聞いて半七は思い出した。それは杉野の屋敷であるかどうかは知らなかったが、四番町辺に朝顔屋敷という怪談の伝えられていることは、彼もかねて聞いていた。」『朝顔屋敷』
広い屋敷内に朝顔の花が咲くと、必ずその家に何かの凶事があるというので、
百日紅

 8月
「日が詰まったと云っても八月である。足の早い二人が江戸川端をつたって小石川へ登った頃にも、秋の夕日はまだ紅く残っていた。高源寺は相当に広い寺で、花盛りの頃には定めし見事であったろうと思われる百日紅(さるすべり)の大樹が門を掩《おお》っていた。」『地蔵は踊る』 蘆の花

 8月
「それは去年の八月、河原の蘆《あし》の花が白らんだ頃の出来ごとで、若い男女をむごたらしい死の淵に追いやったのは、……」『二人女房』


墓場にそっと活けられていた野菊(『小女郎狐』)や、やはり桔梗と女郎花が備えられていた『お化け師匠』。残暑の中でも、もう秋の気配がする。

「……秋の蝉が枯れ枯れに鳴いていた。墓のまえの花立てには、経師職の息子が涙を振りかけたらしい桔梗と女郎花《おみなえし》とが新しく生けてあった。」

撫子

(9月)
「風呂が済むと、また別の広い座敷へ案内された。そこには厚い美しい座蒲団が敷いてあった。床の間の花瓶には撫子《なでしこ》がしおらしく生けてあって、壁には一面の琴が立ててあったが、もう眼が眩《くら》んでいるお蝶には何がなにやら能《よ》くもわからなかった。」『奥女中』

花屋

花屋が登場するのは、『地蔵は踊る』である。むろん寺の門前にある。


雪の花

「日が暮れても雪はまだ降りやまないらしく、白い花びらが暖簾をくぐって薄暗い土間へときどき舞い込んで来た。」『春の雪解』 まあこれは喩えですね。

まとめ

 目新しい花というのはありませんが、今日でもごくありふれた花種ですね。むろん、明治以降の外来種は入れられないわけでしょう。とくに桜花、花見の話題が多いです。3月末から4月はじめ頃を舞台にした作品が多いということでもあります。
 花好きで、自らも花瓶に活けたほどの綺堂さんらしく、季節感や時の推移を知らせる上で、作品上の小道具といって良いのか、花の用い方も気配りが利いています。宿屋でも、花瓶を借りて、桜や草花などを文机に飾って執筆したようです。
 あともう一つの花は、かなしい花、売られ行く生身の娘 です。花に喩えたものもあまり多くはないながら、あります。
                                2004/09/21記

半七考 もくじ に戻る



綺堂事物ホームへ

(c) 2004 All Rights Reserved. Waifu Seijyuro
inserted by FC2 system