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綺堂の自筆

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「文壇に党派あるべからず   弁慶も静も 京の踊かな」 と読むのでしょうか。

    ―『岡本綺堂 長田幹彦 集』現代日本文学全集43篇(改造社、1928年3月)4頁

これが、綺堂が用いていたというGペンによる筆蹟なのでしょう。また、上の筆は京都あたりを旅行したときに書いたものでしょうか。
岡本綺堂は、明治期は和紙に毛筆で原稿を書いていたようです。大正以降は、厚手の400字詰原稿用紙にGペンで書いていました。
 ―岡本経一「遠い思い出」大衆文学大系(講談社・1971・10)第7巻月報1頁

Gペンというのはどんなものでしょうか。ペン軸に金属のペン先を差し込んでインクを付けて書くやつでしょうか。
大正時代ではもう400字詰原稿用紙なんですね。なぜ400字なのでしょうか。
同志社大学の新島襄記念館を訪れたときに、関連の手紙や原稿が陳列されているのを見たことがありますが、当時の原稿用紙に書いたものもいくつかあって、200字詰、400字詰以外にもたくさんあり、まだ(新島襄ですから、たぶん明治でしょうね)規格の統一はないようでした。400字詰標準になるのはいつ頃からでしょうか。

こちらは毛筆によるもの(35KB)
「虫ぼしや お菊を悔む 皿屋敷」

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